精神から見た現在と未来
1.長く住んだ外国人は日本を褒めている
自分のことはなかなか自分ではわからないものである。
「日本精神」というのは、特に日本人自身ではなかなかわからない。外国人が言ってくれるほうがいい。
これをやりだすと、まず出てくるのは江戸時代か、もっと前にやって来た宣教師が、日本について書いた文献である。あるいは明治になってから、イギリス公使やアメリカ公使が書いたものがある。「日本というのはこんな国だ」と、だいたいはなかなか褒めている。
そう書いてもらえたのは、もちろん日本人が高尚だったからだが、しかし考えてみると宣教師は神様の教えを広めに来て、日本に骨を埋めるつもりで、暮らしながら見ている。それから当時、公使は任期十年、二十年が常識だった。十年、二十年はそこで暮らすから、日本のことをよく勉強したらしい。長い時間をかけて見ているから、本質をよく理解した。これは外務省に当てこすって言っているが、外務省の人はみんな任期が二年ぐらいでパッパと変わってしまう。後がつかえているからと追い出される。だから大使は相手の国のことをあんまりよく知らない。
私の経験でも、大使、公使は相手の国のことをよく知らない。政府関係の調査団などで大使館へ行くと、「この国は」と言って渡してくれるプリントの説明文が、JTBの旅行案内と同じ。人口はいくら、面積はいくら、GNPはいくらなどと、そんなことは誰でも知っている……、知らなくても簡単に調べられる。そういうどこにでもあるデータをくれるだけで、大使が持っている深い知識と分析はどれだけあるのかと考えると、多分ない……というのが私の印象である。そういう印象を持たれないように、これから頑張ってほしいと思う。
さて、江戸時代や明治時代に外国人が書いた日本論を見ると、まずは「あべこべ物語」というのがある。これはなかなかおもしろい。のこぎりは日本では引くが、向こうでは押すといった類の話。
もう少し深くなると、「日本人の心の奥底はこうではないか」というところまで見て書いたのがある。だいたいは「礼儀正しい、相手のことを思いやる。争いごとにならないように折り合いをつける暮らし方を、ここの国の人は全員が共有している」と述べている。「工業的技術や数学を自分で発達させている」「したがって機械を見せるとすぐに分解して理解する」「哲学的宗教的論争ではキリスト教のほうが負ける」「民主主義ではないが行政は知的である」「芸術は素晴らしい」「子供を大事に育てる」「武士はプライドが高い」「好奇心が強い」。その他いろいろなことにたいへん感心して「こんなすばらしい国が世界の中にあったのか」と言う人もいる。