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Part1
日常の時間、回復の手続き

Part2
「なんだろう、この違和感は」

Part3
家族は創るもの

Part4
「見張り塔から」をめぐって



 柳美里
 Profile

 福田和也
 Profile
title
portrait
柳美里 vs 福田和也  (page 3/4)
2002.01.07

【Part3 家族は創るもの】
福田和也 わかるような気がしますけど、それはどうしてなんでしょう?

柳美里 私の祖父母、そして父と母は、国を棄てて日本という異国に渡ってきました。でも、日本を選んだという意識は持てず、やむにやまれぬ事情があって仕方なくこの国に暮らしているけれども、決して居心地が良いわけではないと思っているので、引っ越しを繰り返し、国籍は韓国のままなんです。

 いくつも日本名を持っていて、間違って名前が呼ばれようと訂正すらしません。父に「本名は韓国読みでなんというの?」と尋ねたとき、父は苦しそうに、「名前の読みなんて、ヤナギでもユウでもかまわない。おれは国際人だ」と答えました。

 つまり、根無し草なんです。私も親になるまでは一生根無し草として漂っていたい、生きることは迷うことで、選択などできないことばかりだと思っていたんです。けれど、そうだとしても、生きることは、選択できないことを選択することだし、結果的に間違いだとしても決めなければならないと、180度変わったんです。

 私は親として、息子の国籍を選択しました。息子は私の一族の中でたった一人の日本人です。息子の名前はたったひとつ、柳丈陽(やなぎたけはる)です。新居の表札はローマ字でYANAGIです。だからちょっとおおげさなんですけれど、創世記のような感じなんです。

福田 自分たちの世代ぐらいからそうだと思うんですけど、若いお母さんなどは逆の志向がいまは多いと思います。つまり、どちらかというと国際人にしたいとか、小さい時から英語を教えるとか、場合によってはアメリカで産んで二重国籍に子どもをしたいというような人が増えています。

 私は、「国際人」「二重国籍」という言葉に、苦さしか感じることができません。自分自身、日本人であるとも韓国人であるとも言い切れない存在ですから……。振り返った時に場所がある幼年時代にしてやりたいんです。

福田 場所の記憶とか。

 場所の記憶、家の記憶。私が育った界隈は、懐しく振り返ることができるような場所ではなかったですから。

福田 僕などは自分にとって一番本質的な風景というと、逗子ではなく、子どものときを過ごしたすごく柄が悪い田端のあたりのことなんです。夢の中に出てくる風景というのは、田端ばかりです。田端の先に盛り場というと上野があって浅草があって銀座があるといった感じの地理感覚というのは、いまだに根強く思っていますよね。アメ横とかに行くと、何かすごくしっくりくるところがあります。

 親は子どもの記憶のなかに場所をつくろうとしなければならないんじゃないかと思うんです。たとえ子どもが成長して、その場所から逃げ出して別の場所に愛着をもとうとも、親は建設しなければ、という思いがあるんですよ。

福田 そこは大事なところですね。と同時に本当にむずかしいところで、「建設」とおっしゃったけれど、一般的な話として生活も親子関係も、建設しなくても自然にあると思っている人が多いじゃないですか。家族が努力なしに成り立つと思っている。でも、やっぱりあくまで人工的なものですからね。

 家族は在るものではなくて、創るものです。人工的だし、ちょっとでも手抜きをしようものなら震度3ぐらいの揺れで倒壊してしまいます。だから、毎日、毎日台詞を書いて即座に演じるというか、母親、息子という役だけ与えられて、台詞も稽古もなしでいきなり本番の舞台に立たされた感じですね。

 アドリブの能力が試されます。幕がないからしんどいです。しかも、幼稚園に入るまでは、登場人物が少なすぎる。我が家の場合、私と息子が出ずっぱりで、あとはたまに登場して、すぐに退場する「ばーば」だけですから(笑)。

福田 小さいときは子供も手助けが必要ですが、成長してくると特に父親などはどんどんコミットすることがなくなってくるので。

 そうですか?

福田 その中で出番をどうつくるのかというのは面倒くさいですね。考えなければならないのは、やっぱり生き物、動物として、たとえばご飯を食べて美味しいとか、走って嬉しいというようなことも大事にしていくしかないとすると、そこでどういう関与ができるのか。そこが実は一番難しくなっているような気がするんですね。

 だから、第1回(『命』、そして次をめぐって……)にお話ししたときおっしゃっていた「生きていることの肯定」というか、「生きていることはいいことですよ」というメッセージの基本にあるのが、たぶんそこなのだと思うんです。別に美味しい料理を食べさせたから美味しいというのでなくてもいい。卵をかけただけのご飯だって、美味しいときは美味しいわけです。

 食卓という場、食事は重要なシーンです。私、料理学校に通おうと思っているんです。今から習えば、ちょうど幼稚園のお弁当をつくるときまでには、手早くおいしくつくれるようになっているはずですからね。

 でも、いま、鎌倉は子どもが非常に少なくなっていて、小学4年生の男の子を育てている近所の主婦に聞いたんですが、200人だと言うから、「1学年ですか?」と聞くと、全校で200人弱。しかも、小学6年生は60人いるけれども1年生は13人だそうですから、息子の時には確実に1桁になっている。

福田 少ないと目が届くのはいいけど、子どもにすれば息苦しいですよね。常に監視されているわけだから。

 福田さんは評伝や批評をお書きになられるとき、その人物にとって意味のあった場所に行かれていますよね。福田さんご自身にとって愛着のある場所というのはどこなんでしょうか。先ほど、田端が本質的な場所だとおっしゃりましたが、逗子、葉山のあたりにはないんでしょうか?

福田 僕は中2の秋ぐらいからだったので、そんなに愛着はないんですね。遊び場は東京だったし。ちょっと愛着があるのは逗子の商店街ですよね。

 あの辺の海では泳いだりなさったんですか。

福田 友だちが家に泊まりに来て「海に行きたい」と言うと付き合うぐらいで、けっこう辛い。父が調子のいいときには葉山マリーナに、今はもう手放しちゃったんですけど、けっこう大きな船を置いていて。それを道具にして友だちと遊んだりしていたというのはありますけど、なかなか石原慎太郎さんみたいに爽やかにはいかないですよね。

 夏は観光客であふれますよね。

福田 どうしようもないですね。家から葉山マリーナへはオフシーズンだと車で20分ぐらいで行くんですよ。自転車で50分ぐらい。でも夏になっちゃうと、下手すると3時間ぐらいかかりますからね。夏はもうぜんぜんダメですね。夏はいい思い出はないですよね。ラジカセを担いだリーゼントのお兄ちゃんたちであふれかえって(笑)。なんかヤンキー村みたいになっちゃうでしょう。厳しいなーと思いましたね。

 ご両親はまだ逗子にお住まいですか?

福田 両親は住んでます。

 このあいだ、母の車で逗子を回ってもらったときに、福田さんが過ごされたのはどのあたりなんだろうと思いながら風景を見ていたんですけれど。

福田 地理的には逗子と東逗子の間ぐらいなんです。

 東京だと田端?

福田 東京は田端ですね。田端でも下のガラの悪いほう。田端から日暮里、三河島、それから吉原、浅草ぐらい、あとは上野という東京の低地帯ですよね。下町というほど品が良くない、低地帯という感じがメインのモチーフとしてありますね。

 自分の中から抜きがたいものとして。

福田 家庭をつくるということにあたっては、逆にそれじゃないものを求めたというところがあるんですけど。

 いま住んでいる場所に対する愛着というのは?

福田 もう17年も住んでいますから。かなり愛着はありますね。馬込ですから、昔作家が住んでいたあたりがたくさんあって。

 作品のなかで触れられていますが、独特な場所ですね。

福田 今はもう……。どうしようもないボロアパートになっているところに「山本周五郎邸跡」と碑が記されていたり(笑)。あと室生犀星の全集を見ると、すごくいい竹藪があって坂があって、そこの上に家があるんです。

 ところがいまはお嬢さんが「室生アパート」というのを建ててしまって、面影は壊れてしまった。そういうところばかりですよね。でも地形は同じなので、ここを宇野千代に追いかけられながら尾崎士郎は逃げたのかと(笑)。まあアップダウンがあって、散歩をするにはいいですけど。

 ……今ふと不安になったんですけれど、この対談どうまとめればいいんでしょうね(笑)。

福田 世間話をすればいいんですよ(笑)。
でも柳さんと僕とはわりと編集者が共通していますが、付き合う編集者、付き合わない編集者というのは基準があるんですか?

 肌合いでしょうか。合わない担当者が続いたために付き合っていない出版社というのはありますね。現在、主な仕事をしているのは、新潮社、小学館、文藝春秋、メディアファクトリーの4社だけですから。

福田 合わないと付き合わなくなるんですね。

 別に会社と仕事をしているわけではないですから。

福田 それは本当にそうですよね。肌合いというのはどの辺なんですか?

 どの辺なんでしょう。送った原稿に対して感想を書いてきたときの、その感想の質は一番重要です。誉めればいいってもんじゃないですよ。

福田 おざなりな誉められ方をされると、かなり傷つきます。

 傷つくし腹が立つ。それから、私と仕事をしたいという個人的な動機がないと付き合えません。上司に担当しろと命じられたから担当になりました、という人に、なんで原稿を渡さなければならないんでしょうか? ただ原稿を渡して印刷所に運んでもらうだけならバイク便のお兄ちゃんでもいいわけですから。彼、彼女に読んでもらいたいと思えないと渡せないですよ。

 大出版社の部数が多い雑誌からの依頼で、高い稿料を呈示されたとしても、依頼してきた編集者に原稿を読む能力がなければ渡しません。となると、やっぱり肌合いじゃなくて、原稿を読む能力ですね。私の場合、信頼している編集者は数人しかいません。

福田 僕も数人で。こんなに書いているわりには、付き合っている編集者も出版社もたいして多くないんです。

 私も少ないです。

福田 この編集部とこの会社が潰れたら、ほとんど書くところがなくなっちゃうよみたいな感じがあって、まずいなーというのはありますよ。

(Part4 へ続く)

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