i-mediatv.co.jp
banner
justice

banner
banner
banner
banner
justice_top
Video
動画はこちら

Part1
保田與重郎を書いた理由

Part2
『地ひらく』における文章の歩幅

Part3
一緒に足音をたてながら

Part4
『江藤淳という人』、そして「自殺」

Part5
戯曲形式による批評の可能性



 柳美里
 Profile

 福田和也
 Profile
title
portrait
柳美里 vs 福田和也  (page 5/5)
2001.12.10

【Part5 戯曲形式による批評の可能性】
柳美里 最後は「神々のたそがれ」という戯曲です。まだ本にはなっておらず、月刊新潮の臨時増刊『三島由紀夫 没後三十年』に収録されているものですが。

福田和也 戯曲作家に批判される……(笑)。

 いえいえ。そういえば私は劇作家でしたね(笑)。私の肩書きは置いておいて、「神々のたそがれ」を観てみたいですね。最後の部分で観客まで批評なさっているので、やっぱり批評家の戯曲だなと思いました。観客に向かって幾重にも声が重なって批評する。

学生 (観客に向かって仁王立ちになり)なぜ、貴様たちは立ちあがらないのか。なぜおまえたちは座視しているのか。心がないのか。もう日本人ではないのか。このような毎日がいつまでも続くと思っているのか。
 死んだ者をなめるな。
 魂をなめるな。
 山河を、国魂をなめるな。
 何という体たらくだ。
 たった一人も、ただの一人も、俺の呼びかけに応えるものはいないのか。大義のために死ぬ奴は、剣を以て、立つ奴はいないのか。」

 批評されたということに、観客が気づくのか気づかないのか、その空間に立ち会ってみたい。どうなんでしょう、実現性は?

福田 それだけではちょっと長さが足りなくて上演できないので、今、書き直しているんですよ。初めの依頼は90枚ぐらいの長い批評を書いてくれと言われたんです。ところが、ご存知の通り三島というのは、全部もう批評を取り込んで書いてしまっているので、普通に批評をやっても「こうなる」というのが書く前に見えてしまうんですよね。全面的に対決するなら、どうすればいいかなって考えた時に、戯曲で批評をしようと思いついたんです。

『サド侯爵夫人』と『わが友ヒットラー』と、あと『近代能楽集』のスタイルに『三熊野詣』を被せて書いた。でも、1幕はちょっと失敗したので、そこはいま全部書き直しているんですけど(笑)。

 そうですね。でも2幕、3幕は文句なく面白い。

福田 自分としては、書くこと自体とても面白かったです。

 戯曲形式の批評なんて、前代未聞です。

福田 頭の動き方が、やっぱり批評の時と違うのですね、構成原理がまったく違いますから。戯曲の場合は投げ出せるじゃないですか。最終的判断を、どちらと決めずに対立の構図自体を読み手に投げ込める。批評だとやっぱり3幕でいえば折口か三島かどっちかっていうのを、一応は決めないと、批評は批評にならないのです。

 戯曲形式は、小説形式よりも批評を活かせるかもしれないですね。

福田 同時に、それに解題を付けてしまおうと思っているんですよ。

 それは?

福田 戯曲のなかのエピソードや台詞を三島の作品や発言、あるいは周囲の資料のどこから取ってきたということを全部明かしてしまう。それを読めば三島文献とか三島エピソードが全部分かるような仕立ての本にすれば、面白いというか、他にない本になるかなと思って。

 この間刺激を受けたのは、ハイデガーが『存在と時間』を書いた直後に、トーマス・マンが『魔の山』の舞台にしたダボスのサナトリウムで、カッシーラーという新カント派の哲学者の親玉と対決するんです。巷間、ハイデガーが勝ったということになっている、現代哲学にとってすごく緊迫感のある場面なんですよ。

 そこにレヴィナスが立ち会っていて、レヴィナスのインタビューを読んで面白かったのは、あまりすごかったのでハイデガーの弟子たちがその場面を劇として上演するんです。レヴィナスはいつもカッシーラーの役だったというんだけど。それを読んだとき「それも芝居にできるんだなあ。全然違う批評を書けるな」と思って。だから三島がうまく行ったら、ハイデガーもやれたらなと。

 「神々のたそがれ」は、1幕をかなり膨らますという感じですか?

福田 1幕も2幕もです。3幕はそんなに変わらないと思いますけど。

 上演したらぜひ観に行きます。

福田 ありがとうございます。

 でも、自分の戯曲を観るっていうのは、それがまたなかなか耐えがたい経験で(笑)。

福田 僕が最後にやったのは大学1年生で、それ以来やってなくて。その時は本当に最悪でしたけど。

 耐えられました?

福田 いや、ひどかったです。辛かったですねえ(笑)。

 私はほとんど観てないんですよ。途中で出てしまうから。

福田 『グリーンベンチ』のとき、後ろからご覧になっていたでしょう?

 『向日葵の柩』『魚の祭』『グリーンベンチ』は演出を他人に任せたから、自分の作品であって自分の作品でないような感じだったんですけど、自分が演出した6作品に関しては、途中で劇場を飛び出してゴミ置き場のゴミを蹴飛ばしたり(笑)。

 上演中に役者が台詞を飛ばしたので、思わず「違う!」と叫んで、舞台監督に引きずり出されたことも。ロビーに客を待たせているのに、トイレに鍵をかけて悔し泣きをしていたり(笑)。よく7年間も劇団を主宰できましたよ。

福田 芝居はねえ……。

 書いているときはいいんですけど、自分が演出したり、自分が出演したりすると、カタルシスというのはまったくないですね。

福田 そうですね、書いているときは楽しいんですけどね。

 小説よりずっと楽しい。

    *

 最近はずっと仕事をしないで、仕事らしいことと言えば、福田さんの本を読むことだけだったんです。そういう時間を何ヵ月も過ごして、改めて福田さんが同時代に生きて、書いていて下さることがうれしいと思いました。だから、いつもお会いしたい人ではあるんです。でも面と向かってお会いすると、気恥ずかしいというか……。

福田 素面(しらふ)で会うのはきついと(笑)。

 いえいえ(笑)。でも、この距離感でいいのかなという気もするんです。お会いした回数はものすごく少ないですよね。

福田 そうですね。社交範囲はだいぶ重なっているので、本当はもっと偶然にお目にかかっていてもいいんですけど。

 担当編集者はかなり重なっているんだけれども。避けているのか、避けられているのか(笑)。

福田 いえいえ。ただまあ、物書き同士が示し合わせて「一緒に会おうよ」っていうのは、なかなかねえ。

 そうですね。ただ、共通の担当編集者から、話は常に流れてくるんです。でも話したいと思って話すと、かならず「話しそびれたな」という気がするんです。今日もたくさん話しそびれたので、また次の機会にお話ししたいです。

(全文終了)

page_jump
justice i-mediatv.co.jp