【Part4 『江藤淳という人』、そして「自殺」】
〇柳美里 次は『江藤淳という人』です。福田さんはドリュや三島由紀夫にシンパシーを抱いていらっしゃるけれども、福田さんご自身の中で「自殺」というのは……。
●福田和也 20代は大きなテーマでしたね。30代は念頭にはあったけれども、それよりも書いていくことが目の前にあって。40近くなってから、またちょっとそこに帰ってきたのかなという気がしますね。するしないは別として、テーマとして。危険ですけど。
『日本クーデター計画』を書いたとき、家内にすごく怒られた。「面倒くさいから、クーデターでも起こして撃たれて死ねば楽だと思っているんでしょう」と。でも、それはあるなと思ったんです。そういうところが、自分にあるということは確かですね。
〇柳 日本という国に入った皹がさらに大きくなり、国と人が崩れてしまったら、自殺を作品のテーマとしてお考えにならざるを得ないのではないでしょうか?
●福田 日本近代文学のテーマは、やはり自殺なんですね。北村透谷から江藤淳までの自殺者と、『こころ』から『ノルウェイの森』まで自殺がずっとメインモチーフで、そこからなかなか逃れられないんじゃないでしょうか。最初の対談と同じになってしまいますが、江藤さんは自殺する人だと思っていなかったので、とてもびっくりしました。柳さんが「匕首を突き付けられた」とおっしゃったのは、よく分かります。
〇柳 この本に収録されている「江藤淳氏と文学の悪」は殺気が漲っているのに、折目正しく、愛情が溢れている批評ですが、これを書かれたとき、江藤さんの自殺を予感されたことはありますか?
●福田 それはなかった。江藤さんに対しては、あの中で色川武大の引用で書いてますけれども、「手前等にできることは長生きだけだ」と云ってやりたいという思いがありました。それを投げつけたくて書いた。
あの文は『日本人の目玉』を連載している途中に書いたんです。たしか洲之内を書いたあと……。連載中に同じ雑誌で書くというのもおかしな話なんですが、ずっと編集長にけしかけられてたので。
あのときに「書ける」と思ったんですよ。書かなきゃいけないとも思った。というのはつまらない話なんですが、当時、江藤さんが慶応大学と喧嘩をして「辞める」と言い出した。「代わりに行け」と言われたんです。前にお話ししたように、江藤さんは誰も評価してくれなかった『奇妙な廃墟』を見つけてくれた恩人でもあり、そのうえ就職まで世話してもらったら、もう「対決」できないじゃないですか。
だからその前にこれを書いて、もし江藤さんが怒って「この話はご破算だ」というのなら、それはそれで仕方がない。ここで書かないともう書けないと思って、それで書いたというところがあるんです。
〇柳 でも、今読むと……。あのような形でお亡くなりになる可能性もあったんだなというふうに、読めてしまいますね。
「大きな喪失、何重にも重ねられた喪失によってこそ、日常が、生きることが支えられているという事。解りやすい、釣り餌のような目標によって生が支えられているのではなく、あらかじめ回復できないとされた喪失によって、その喪失の回復不可能性によってこそ生きていくのだと説明する事。/喪失が支えとなり得るのは、その喪失が度重なり無限に続くと語られているように、その喪失された何物かが、きわめて大きな、輝かしく、かけがえのない物だからである」とお書きになられていますが、かけがえのないご自分の命を自裁された江藤さんのご意志は、獲得することに価値があるのだとする、私たちの価値観を根底からくつがえすものです。
この本のII部に収録されている、江藤さんが亡くなってからの追悼文も、全身全霊でお書きになられていますね。
●福田 あそこは滅茶苦茶ですよね。ほぼ全部をたぶん2週間ぐらいで書いているので(注:II部収録の約80ページ)。
〇柳 特に最後に収録されている「江藤淳先生と私」では福田さんが無名のときから現在に至るまでの江藤さんとのご関係をつぶさにお書きになられていて、胸迫るものが……。『諸君!』の当時の編集長に江藤さんが「福田和也という面白い人がいるから是非書いてもらうべきだ」と電話を掛けられたという話を聞いて、銀座の和光の前の電話ボックスで落涙されたというエピソードまで……。
●福田 恥ずかしい。
〇柳 フランス料理店で帰宅用に呼んだタクシーがなかなか来ないので、怒った江藤さんが江ノ電で帰られたこととか。
●福田 あれは、本当に気まずかった(笑)。
照れくさいので話を移します。傲慢な言い方になってしまうのですが、『日本人の目玉』を書いたぐらいのときから、存在としては別ですが、書き手としての江藤さんは、正直に言うと恐くなくなっていたんです。もちろん昔のすごい作品は知っているけれども、同時代の江藤さんはそう恐くはなかった。
でも、『妻と私』はやっぱりすごいテキストで、あれを読んだとき一番最初に考えたのは、「ああ、江藤先生、大変だったんだ」ということももちろん思いましたけど、それ以上に「江藤淳が甦ってきた、これはどう立ち向かう」と考えました。どう闘うのかということを。『幼年時代』の1回目も、非常にすばらしかったし。
あのまま書いていってたら、すごい作品が出てくるなと思って、これは本当に闘わなければいけないという感じがしました。
〇柳 そうですね。生きることは喪失しつづけることだとおっしゃっていた方が、お母様の喪失からはじまって、本当にすべて喪失してしまったときに何を書くのか。すごい作品が現れた可能性はありますよね。
●福田 あります。
〇柳 ただ、どうなんでしょう、あのようなかたちでご自分の生を閉じられたからこそ、より一層江藤淳の文学の持つ意味が大きくなったとも言えるかもしれません。福田さんはどのように死ぬのか……。
●福田 いや、僕は野垂れ死にでしょう(笑)。
〇柳 私も含めてですけれども、昭和、大正、明治と遡れば遡るほど興味深い人物がいるのだけれど、それがどんどん小粒になっていって、これからどうなるんだろうという気持ちはありますね。
●福田 それは、どうしようもなく矮小になっていますね。同時代を見ると、なんでこんなにツマラナイ奴ばっかりなんだ、という気がするけれども、前代から見れば自分も本当にくだらない。だいたい器が小さいですよ。こんなことを言うとおこがましいですけど、若い人たちがどんどん出てきているときに、江藤さんとか、もちろん小林秀雄といったような、一種のパトロネージュ、後の世代への案内なりつきあいがちゃんとやれるかなと思うと、そのへんはおぼつかないですよね。
〇柳 そういったことを、やっていきたいと思われているんですか?
●福田 ええ。一応、文壇という場所に対しての、維持責任というものの一端は、自分にかかっていると思ってますよ。
〇柳 なるほど。
●福田 でも、柳さんも思ってらっしゃるんじゃないんですか?
〇柳 私ですか?
●福田 うん。
〇柳 ……文壇?
●福田 文壇というか、要するに日本の作家たちが互いに付き合ったり気にしたりしながら、次の世代につながっていくというような。
〇柳 うーん……どうでしょう。つながっていける力があるのかどうかについては、懐疑的かもしれない。
●福田 僕も、懐疑的というか、非常に危機意識はあるんですよ。ただまあ、こう言ってはなんですけど、自分が批評家をやっている時代に日本文学とそのサークルとしての文壇が滅亡してしまうというのは、これは本当に困るので。だからそれは何とかしなければいけないと思ってはいます。
例えば江藤さんにしていただいたことは、江藤さんには返せないものじゃないですか。大学時代の師匠の古屋健三さんに対してもそうです。やっぱり下の世代にしか返せないと思うんですよ。そういう責任感は感じますね。