i-mediatv.co.jp
banner
justice

banner
banner
banner
banner
justice_top
Video
動画はこちら

Part1
保田與重郎を書いた理由

Part2
『地ひらく』における文章の歩幅

Part3
一緒に足音をたてながら

Part4
『江藤淳という人』、そして「自殺」

Part5
戯曲形式による批評の可能性



 柳美里
 Profile

 福田和也
 Profile
title
portrait
柳美里 vs 福田和也  (page 3/5)
2001.12.10

【Part3 一緒に足音をたてながら】
柳美里 『地ひらく』に戻ります。読んでいて思ったのは、歴史というのは、一人の足音を追うことでしか、見えてこないのではないかなと……。

福田和也 批評家は、価値を示すのが仕事です。価値観の源泉にはもちろん好みもあれば、思想もあるしいろいろあるけれども、最終的に価値観のもとというのは、やっぱり歴史観だと思うんです。要するに過去と未来の持続の間で、自分をどのように捉えているかという問題です。すると、やっぱりどこかで「自分の歴史観はこれだ」ということを、示さないといけないと思うんですよね。

 小林秀雄が『無常といふ事』でやった仕事、あるいは江藤淳さんが『海は甦る』や『昭和の宰相たち』でやった仕事と同じことを、やっぱりいつか自分もやらなければいけないなと思っていました。

 自分にとって歴史とは何かと考えると、やっぱり司馬遼太郎さんの明治ではなくて、昭和なんですね。昭和が自分にとって一番大事な時代です。だからそれを書こうと。その全体像は『魂の昭和史』で書いたんですけれども、具体的に書くときには人を通して書くしかないというのはおっしゃった通りで、何人か考えたんですけれども。

 他に、候補としては?

福田 政治家で田中角栄と岸信介には興味があって、あと文学者だと評伝みたいにはできないんですけど菊池寛です。彼が昭和2年に『文藝春秋』を出したことが、今の出版文化の、まあ全部とは言わないけれども、かなりの部分をつくっている。特に作家にとっては大きな存在の人ですから。あとは、アウトローも面白いですよね。山口組三代目とか。

 取材に同行する方が大変そうですね(笑)。

福田 結局、昭和はやはり戦争という出来事が大きいので、軍人にしたんです。それで一番共感できる石原莞爾にしたんですけれども。

 それも、足跡を辿るという安易な方法ではなくて、足音を一緒にたてるというような書き方ですものね。そういうものを読んだのは、初めての経験です。その時、その場で消えてしまった足音の響きに耳を澄ましながら読んでいました。

 私の足音も福田さんの足音も立ててすぐに消えていっています。やがて足音を立てることができなくなる。けれど、そのあとも足音はつづいていくわけです。そういう足音まで聞こえてきたので、恐かったんです。だから本当は2回読んでお会いしたかったんですけど、時間切れ(笑)。

福田 いえいえ、1800枚もありますから。それでも300枚ぐらい削ったんですけど。

 石原莞爾という人を通して、輪郭さえ描くことが困難な昭和の夢を見事に現像されたと同時に、その夢が破れ、夢の欠片すら持てなくなってしまった平成という時代の暗さも照らしていらっしゃる。

 しかし、お書きになられているように、「この荒天に漕ぎ出すためには、やはり何らかの夢が必要だったのである。/昭和の夢……。/その夢が明確な輪郭をとって、一つの姿を、鮮明な姿をとらねばならな」いのは、現在も同じだと思うんです。夢を渇望する切実さは変わらないのではないでしょうか。この本を昭和の終わりに生まれた世代がどう読むのか、とても興味深いというか、その世代に読んでほしい1冊です。

 石原莞爾の性格については、共感する部分が多かったんでしょうか?「石原には、自分を囲んでいる組織の機微、特に細目にこだわる管理的な視線に対して鈍感なところがあった。鈍感というよりも、そういう感性が抜け落ちていた。そして、かすかに感じることがあると、むしろそれに反発し、逆なでするような行動をとった」と分析されていますが。

福田 そうですね。でも、直接付き合ってたら、会う場面によるけれども、すごく心酔したか大喧嘩になったか、どっちかでしょうね。普通にはたぶん付き合えなかった気がします。通常の日本社会の理屈の上、特に人間関係の論理からすれば、やっぱり石原は良くないんですよ。東条英機は、委曲をつくして、石原に尽くすでしょう。でも国家観、戦争観が会わないということで、徹底して攻撃をする。これはもちろん正しいのですが、日本社会、とくに軍という官僚の社会では正しくないのです。

 あと、この本では海外のことをかなり書いているのですが、日本人と等身大のサイズで、レーニンとかヒトラーとかルーズヴェルトを登場させたかったんです。これまでの書き方だと、どうしても日本人と違う人たちという書き方になっているので。

 私は司馬さんの歴史小説も、ほとんど読んでいるんですが、意外とその人物の貌(かお)は見えてこないんです。その物語の起伏はよく見えるんですけれど。『地ひらく』は、身振りや手振りや声音が伝わってくるんです。石原莞爾のそのときの顔、たとえば寝っ転がって落花生をつまみながら洋書を読んでいるときの、石原の口のなかでたてる音までリアルに聞こえてきました。

福田 今『Voice』で松下幸之助の評伝「滴(しずく)みちる刻(とき)きたれば」を連載していて、書いてみると松下の昭和は石原とまた全然違うんですよ。そういう意味では、昭和があれだけの時代だからとはいえ、歴史というのはやっぱりなかなか広いものだなと痛感させられます。今ちょうど昭和7年を書き終えて、満州事変のあたりなんです。

(Part4 へ続く)

page_jump
1. 2. 3. 4.
動画はこちら→ Video
justice i-mediatv.co.jp