【Part4 「緊張ある批評」から得た入り口】
〇柳美里 それから、福田さんが敵視するほど文学賞や新聞評には、権威も影響力もないですよ。谷崎賞を受賞したある作家が、「増刷もしないし、受賞の帯もつくってくれない」と嘆いていたという話を聞きましたし、他の文学賞も似たり寄ったりです。受賞したからといって、読者が増えるわけじゃない。芥川、直木は特別だといっても、よっぽど話題性のある人が受賞しないかぎり、芥川賞で5万部以下、直木賞で15万部以下というところが平均でしょう。
私は、『命』のときに全国約200店の書店をまわり、書店の方と話をしましたが、みなさん、「どんなに絶賛されていても新聞評では動かない」とおっしゃります。読者は慎重ですよ。ワゴンに積んであった私の本を20分も立ち読みして、結局買わずに帰った女性を目撃したこともあります。わずかな小遣いの中から月1冊か2冊の本を買うんです。みんな立ち読みして、自分に合うかどうか確かめてます。文学賞の選考委員や新聞の書評委員のいいなりなんかになりませんよ。
●福田和也 まあ、これは本屋さんに行って迷っている人のための本ですからね。こう言うと怒られてしまうかもしれないけれど、点数しか見てもらえないと思って書いていますから。
こんなことを言うとあれだけれど、コメントを3行で書くというのは大変なんですよ(笑)。一応プロだから800字で書く頭で読むじゃないですか。新聞の書評が800字、短かくても600字ですよね。その分量で書く頭で読んでいるから、600字を60字にするというのは結構面倒くさいし、60字で変化をつけていくのはそれはそれで大変なんですけれど(笑)。
〇柳 ただ福田さんが石原慎太郎さんと親しいから、『わが人生の時の時』に最高点をつけたんだと批判した人がいたけれども、それは違う。私もあの作品は素晴らしいと思いました。発売とほぼ同時に買って読んで衝撃を受けたという記憶があります。『作家の値うち』に取りあげられている作品の中で読んでいるのは3割くらいですが、その3割の作品に関しては、評価が一致しているものが多いです。
●福田 石原さんについてそう言われるのはわかっていたので、本当は点数を下げるのは簡単なんだけど。あんな作品はあの人しか書けないですよ。そもそも石原さんは、どうせ100点をつけなきゃ文句を言う人ですよ。96点とはなんだ、と(笑)。だから何点つけても同じなんだけど。でもそれはしょうがないですよね、そういうことを気にしていたら何もできないですからね。
長野に平安堂という本屋さんがあるんです。日本で売り場面積第8位ぐらいでしょうか。そこの社長さんが「自分はすごく欺かれてきた、老い先短いのに何を読まされてきたのか」と言ってくださって。もちろん書店さんが作家に言うことだから、お愛想も入っているでしょうけど、彼はわざわざそのために講演に招いてくださったんです。要するに、ある種の読者の指針になるし、初めから小説を読む気になっている人にはいいんじゃないですか、きっと。
〇柳 高得点だからといって、読むとは限らないと思いますよ。くどいですが、ガイドなど他の人に任せて欲しい。福田さんは、『奇妙な廃墟』『日本人の目玉』では徹底的に顔をさらしていらっしゃる。しかも、自分の立っている場所を危うくするような書き方です。特に、『奇妙な廃墟』は、ナチに参加してしまった作家をどこかで肯定し、共感していらっしゃるから……。
●福田 それはたぶん良くも悪くもフランス人とつき合ったからでしょうね。議論していると、「ブラジヤックはいい作家かもしれない。でも彼はナチじゃないか。おまえはなぜかばうのか」という紋切り型なことを始終言われていたから。それを若い頃に言われたのが良かったんでしょうね。そうじゃない、ナチだからといってなんだ、いいものはいいものじゃないかということをなんとか言わなければいけないと思って……。
それは先ほど申し上げたツェランとハイデガーの問題にも関わるけれど。だってハイデガーがナチだと言っても、こんなにすごいことを考えているやつは誰もいない。でも、もちろんナチは大きな問題で、単純に関係ないと言ってしまえるわけがない。
〇柳 『奇妙な廃墟』では、アドルノの「アウシュヴィッツのあとで、詩を書くことは野蛮である」というアフォリズムを常に意識しつつ、銃口を見据えながら詩の側にお立ちになられている。そういう緊張の中で書かれた批評を、私は読みたいんです。
少し話がずれるかもしれませんが、福田さんの<批評>を読むことによって、私の次作のヒントというか、入口を見つけられたような気がします。次作では、日本統治下の朝鮮で生きた私の祖父とその家族を書かなければならないのですが、「けして行きつくことのない故郷への帰還(『日本の家郷』)」を試みるしかないのではないかと感じました。
●福田 前から進めていらっしゃいましたね。何度か取材もされている。
〇柳 私の祖父はベルリンオリンピックのゴールドメダリストである孫基禎(ソン・ギジョン)と同世代の長距離ランナーで、日章旗をつけて走っていました。「美里」と命名したのは祖父です。祖父によって“帰郷”を宿命づけられた気がします。
●福田 ハイデガーが圧倒的に優秀な理由はいろいろありますが、なかでも大きいのは「ハイマットロース」、すなわち「故郷喪失」という言葉を提議したということですよ。それは本当に誰も20世紀にしなかったことで、でも一番本質的なことを言ったのです。文学的にあんなに怖いことを言った人はいないですよね。
〇柳 韓国に行って生前の祖父を知る老人の話を聞けば聞くほど、「美里」と名付けた祖父の気持ちがわからなくなります。何も知らなかったときは、単純に祖国に対する郷愁だと思ったんです。「美しい里」と……。
●福田 本当にハイデガー的な名前ですね(笑)。
〇柳 祖父が生まれ育ったのは、蜜陽(ミリャン)という土地です。ミリの響きとも似ています。老人たちは皆、「あの人は密陽を憎んでいるに違いない」と言います。朝鮮戦争の直前に、年が離れた弟が左翼運動をしていたために、24歳の若さで射殺されます。20日間にわたって投獄された祖父は身の危険を感じ、妻子を棄てて日本に密入国したんです。
蜜陽という小さな村では、橋の欄干に左翼の青年たちの首が棒に突き刺されて並べられ、左翼だと疑われたり密告されたりして逮捕された住人が小さな工場に押し込められて、一斉に銃殺されたと言います。朴政権のときにその遺族が「もう大丈夫だろう」と遺体を掘り起こし墓をつくったんですが、それが発覚して遺骨を村中にばらまかれたそうです。
金正日と金大中が対話したとはいえ、緊張関係はつづいていますし、蜜陽では現在でも被害者と加害者が隣人として暮らしています。そういう意味でも厳しいですし、何故、私に「美里」と名付けたのか……。そして、何故、60歳を過ぎてふたたびマラソンをはじめ、30年間連れ添った日本人女性を棄てて、帰郷したのか……。祖父は帰郷した数年後に、たったひとりで亡くなります。
次作で、あらかじめたどりつくことを断念した帰郷への道を歩めるのかどうかは書いてみなければわかりませんが、福田さんの<批評>によって、方向が定まったような気がします。その場所は<蜜陽>ではなくて、<空無>だと。
もうひとつ強く思ったのは、『奇妙な廃墟』に登場する作家のように書きたいと……。
●福田 それは僕も思っていて、ありえないだろうけど、ブラジヤックのように銃殺されたら最高ですよ、作家として。
〇柳 最高ですよね。
●福田 そういう物書きになりたいですよね。
〇柳 なりたいけれども……。
●福田 ルバテのように檻に入れられるのはイヤだけど(笑)。
〇柳 モーリスも結局。
●福田 モーリスは、病院に軟禁されて、ほとんど獄死ですね。でもルバテみたいに、動物園の檻みたいな、屋根もないところに入れられるのはちょっと……イヤだよね(笑)。
〇柳 銃殺ですね。最後の言葉として「勇気」、そして銃殺されるというのはやっぱり夢ですよね。