【Part1 『作家の値うち』と『奇妙な廃墟』】
〇柳美里 今回は私のほうからインタビューをさせていただきます。福田さんの文芸関係のご著書を通読させていただきました。社会評論をあわせると30冊以上となりますから、ものすごいペースでお書きになっているんですね。
私にとっては久しぶりの読書だったんです。『命』を書く以前から、妊娠と癌闘病でまったく読むことができない状態がつづいて、現在も育児と執筆で1日を使い果たし、なかなか読書に時間をまわせないんです。ほんとうに久しぶりに……。
●福田和也 久しぶりなのに、変なものをいっぱい読ませて申し訳ありませんでした(笑)。
〇柳 いえいえ(笑)。では、早速ですが、話題となった『作家の値うち』からいきます。福田さんはどのような反響を予想していましたか。
●福田
最初はそんなボリュームでやる気はなかったんですね。純文学とエンターテインメントをそれぞれ30人ほど、1人3冊くらいずつやればいいやと思っていたのですが、それではやっぱり普通の読者に不親切だし、本としてもスカスカしてしまうので。
〇柳 もうちょっと、批判があるだろうと思っていませんでしたか。
●福田 大騒ぎになるだろうと思っていましたけどね。でも正面から批判したのは井上ひさしさんだけでしょう、たぶん。あとはもう間接的なものしかなかったですよね。
〇柳 この本の存在を知ったのは、同居していた東由多加の癌闘病のために、友人の町田康さんの家に息子を預けていたんですが、息子に会いに行ったときにちょうど町田さんのページだけファックスで流れてきているところだった。彼の担当編集者から送られてきたんです。この本の奥付は4月19日になっていますから……。
●福田 店頭に並んだのは4月2日とか3日ぐらいだと思いますよ。
〇柳 東さんが亡くなったのが4月20日ですから、亡くなる1週間前くらいでした。ただ、そのときは、それどころではなかったんです。実際に手に取ったのは、東さんの四十九日のために買い物に出掛けたとき、帰りにふらっと書店に寄ったんです。『作家の値うち』が渋谷ブックファーストの2階のワゴンに平積みになっていて、「何点以下は人前で読むと恥ずかしい」というようなボードが立っていて(笑)。両手の紙袋を床に置いて立ち読みしました。
私はいやな感じはしなかったんです。というのは、これだけの量をお読みになって採点しているということに驚き、この人は本気で引っ掻きまわそうとしているんだ、と思いました。
ただ、福田さんが望んでいるような、ある緊張をもたらすことができるのかということに対しては疑問を感じました。
●福田 そうでしょうね。作家に対してももちろんあるけれど、あとは編集者ですよね。彼らにはやっぱり、少しは意識に残ると思うんですね。たぶん江藤淳さんが批評をやっていた時は、そういう感じだったと思うんです。今はもう、それがなくなってしまったので。だから、ほんのちょっとでも気にしてくれたら、それでいいかなという感じだったんです。
〇柳 編集者を抑圧したかったんですね、作家よりも。
編集部注 : 本対談で頻出する福田和也氏の著書について
『奇妙な廃墟』 1989年刊の処女作(国書刊行会)
『日本の家郷』 1993年刊 三島賞受賞作(新潮社)
『甘美な人生』 1995年刊 平林たい子文学賞受賞作(新潮社)
『日本人の目玉』 1998年刊(新潮社)
『作家の値うち』 2000年刊 100点満点の採点方式が話題を読んだ(飛鳥新社) |
〇柳 私は今回、『作家の値うち』のあとに、『奇妙な廃墟』を読んだんですよ。
●福田 それもめちゃくちゃな取り合わせだ(笑)。
〇柳 めちゃくちゃです(笑)。それで、『奇妙な廃墟』を読んで愕然としてしまったんです。引用されている作品を全部読んでからじゃないとお会いできないのではないか、というぐらいの重みがあった。冒頭のパウル・ツェランとハイデガーの出会いのところで立ち止まりました。
「ぼくらは かつて 無であり 今なお無であり 将来も 無のままであるだろう 花咲きながら―― 無の だれでもない者のばら」という福田さんが引用なさっているツェランの詩で、倒されました。
●福田 その詩は、本当に一番いいものですからね。ドイツ語で書かれたもので一番いい詩ですよ。
〇柳 9月に『命』の続編『生(いきる)』を出版するのですが、担当編集者に、冒頭にツェランの詩を掲げたいから、早急に全詩集を入手するように頼みました(笑)。
それは余談ですが、『奇妙な廃墟』で取り上げられている作家の全作品を読んでみたいと思いました。でも、『作家の値うち』で福田さんが高得点をつけている本を、じゃあ注文して買うかというと、たぶん買わないでしょうね。読者としては、『奇妙な廃墟』を読んでいるときのほうが圧倒的に緊張しているし、その緊張は今でもつづいています。私の次作に影響を及ぼすかもしれないほどの緊張です。
●福田 それは嬉しい。
〇柳 わたしは『奇妙な廃墟』の批評のスタイルでこそ、編集者に、作家に、読者に、緊張を与えるべきだと思うし、福田さんはそのお力を持っていると確信しているのですが。
●福田 『奇妙な廃墟』は、抑圧とか何とかいうことは、全然考えないで書いていました。作家とか、何とかというような人たちは、まったく眼中にありませんでしたから。評論家になれるかどうかなど、まったくわからなかったし。というより、人生そのものがこの先どうなるかわからない、自分が2冊目の本すら出せるかどうかわからないという状態で書いていましたから。
扱っているのはフランスでさえ誰も相手にしなくなった人たちです。おこがましいけれど、自分が書かないとフランスでさえほとんど書かれないままになってしまう作家についての、特殊な議論を展開しているわけです。それはやはり、緊張感が違いますよね。
〇柳 『奇妙な廃墟』を読んでとても幸福な気持ちになったのは、福田和也という批評家を初めて理解したような、と言ってはおこがましいけれども、そんな気がしたんです。再読した本がほとんどなんですが、この本は初めてだったんです。
●福田 国書刊行会から出ている、探すのも面倒くさい本ですからね。
〇柳 福田さんが標榜していらっしゃる「保守」の本質が、この本に書かれていますね。
●福田 そうですね、ここが根ですね。
〇柳 フランスの作家たちを論じていながら、日本という国を照らしているというか、日本が戦後56年のあいだに「営々と築きあげてきた人道主義、個人の尊重、人権、平和、平等といった価値の全般的な転倒とそのための具体的な戦い(『奇妙な廃墟』)」であると捉えました。非常に刺激的で危険な本です。
●福田 かなり大きなスケールの人たちを、ひとり80枚ぐらいでギュッと書いていますから、贅沢な本ですね。誰も書いていないから、材料もふんだんにあるし。一番おいしいところだけを、選りに選って。
〇柳 フランスでも書かれていない作家たちなんですね?
●福田 ドリュとゴビノーはちょっとやっている人はいますけれども、ブラジヤック、ルバテ、モーラスなどは扱う人がいませんね。対独協力というのはかなり強いタブーですから。偉い先生がいるときや、公式の場では出してはいけない固有名詞なんです。
〇柳 でも、ここで書かれている作家は、人物としてもとても魅力的ですね。
●福田 ドリュ・ラ・ロシェルってすごく好きだったんです。その自殺願望とか女性とのつき合い方ですよね。恋人が旦那とローマに行くんだけど、1日30分だけ逢瀬の時間があるとなると、1日ぼーっと待っていて30分だけ会う。別にそこまで恋人に惚れ込んでいるわけじゃないけれど、女が1日30分だけ会いたいと言うなら行ってみようかと。そういう感じの男というのはいいですよね。
〇柳 福田さんがこの作家たちと出会ったのは何歳ぐらいですか。
●福田 17、8歳ですね。国書刊行会でセリーヌ全集が出だしたんです。正確に云うとドリュはもう少し前から読んでいましたけれど。
〇柳 セリーヌ全集は私も持っています。
●福田 僕もあれで痺れました。この人はすごいなと思って。それからドリュにいき、コラボの作家たちを集めだした(編集部注 : 1940年から44年までのドイツ占領軍のフランス統治に協力した作家たちを「コラボ<協力者>」と呼ぶ)。個人的にはやはりドリュとブラジヤックがすごく好きなんです。ブラジヤックは銃殺された人ですけどね。
〇柳 35歳の若さで。
●福田 23歳で、ウェルギリウスについてのとてもチャーミングな評論を出していて。とにかく、それでコラボの本を集めたりしているうちに、だんだんそっちに入っていっちゃった。
で、国書刊行会で、セリーヌ全集が売れたので、同じような企画が通って、コラボの選集をだそうと。でも、本がないので困っているうちに、ぼくのところに話が来て。お手伝いをしているうちに、「ちょっとおまえ書かないか」ということになったんですよ。
〇柳 『奇妙な廃墟』が処女作ですか?
●福田 完全な処女作です。
〇柳 両親を強制収容所で殺され、自身もゲットーから強制労働のキャンプに狩り出されたツェランが、ナチに参加したハイデガーに会いに行って、対話した……ツェランとハイデガーが正反対とも言える立場から見出してしまった、「たどりつくことのない帰郷のみち」というのは、自分自身に突き刺さってくる問題だったので、1頁1頁考えながら読みました。
●福田 簡単に言うと、文芸評論のデビュー作『日本の家郷』はハイデガーの言うヘルダーリンの「帰郷」の問題を日本の文芸にあてはめていますから、結局僕はそこからスタートしているんですね。
〇柳 でも、素晴らしい本ですね。正直に言うと敗北感に近いものを味わいました。かなわないかもしれない、と。
●福田 また、そんなことを。
〇柳 対象があってそれを批評するというのではなく、完全に自立している。引用されている作品を知らなくても、文芸作品として読む者を打つというか……。評論でそのようなものを読んだ記憶があまりないので。
●福田 そう言ってくださると嬉しいです。もともと編集者は解説編みたいなもっと薄い本を考えていたんです。でもこんなテーマの本はどうせもう出せないだろうから、編集者を騙してモーラスとゴビノーは無理やり入れちゃった(笑)。
〇柳 ブラジヤックやモーラスは、読んでいて読者が思い入れてしまうように書かれている。特に、少年時代に聴覚を失ったことによってもたらされた、「視界からもたらされる外のさんざめく世界と内部の沈黙との共存が内包している癒しがたい分裂であり、葛藤」、「その分裂を受け入れ、みつめ、認識し、その乖離を生き」たのではないかという福田さんのモーラス像に魅きつけられました。
●福田 モーラスは結局、このシリーズ(「1945:もうひとつのフランス」)のコレクションには入っていないんです。
〇柳 巻末の広告を見て、モーラスとゴビノーが入っていないと思った。2人の作品が訳されていないのが残念です。
●福田 ゴビノーは澁澤龍彦が『プレイヤード』を訳そうとして途中でやめたらしいですけどね。
〇柳 ほとんど原文であたっていらっしゃるわけですよね。
●福田 翻訳はセリーヌとドリュの一部以外はないので。
〇柳 引用されている文章がどれも素晴らしい。「はるかかなたでは、人生はまだ甘美でありうるだろうか?」 終戦の年に自殺したドリュの『ジル』という作品の一節です。この一節が『甘美な人生』という文芸評論集のタイトルになったわけですね。『甘美な人生』の最終章にこの一節との出逢いが書かれていて、興味深かったです。
そして、「それが問いかけでしかないにも拘わらず、一つの回答を得たと錯覚してしまった」18歳の福田さんをとても近しく感じました。「生きているという事自体が、その味わい嘗め尽くすべき瞬間と我に反る機会の総てに於いて、甘美たりうるし、残酷な程甘い物である。彼岸を『彼方』として生きる明確な意志さえあれば、人生は『甘美』な奇跡で満ち溢れる」という福田さんの言葉に、ただうなずくしかありませんでした。