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Part1
トーンが変わった理由

Part2
言葉、国籍、文化継承……

Part3
義務、責任を負うことの喜び

Part4
プラスとなった出産、育児経験

Part5
戦後文学の画期としての『魂』

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(5/全5回) 2001.04.11

【Part5 戦後文学の画期としての『魂』】
柳美里 でも、倫理を伝えるというのは難しいですね。

福田和也 理念的に言うことは簡単だけれども、それを実際に理解し納得させることはたいへんです。

 社会全体が、欲望を煽りたてて消費させる仕組みになっています。テレビにしても雑誌にしても、それこそ育児雑誌でさえ、お前たちは消費者だとしか言っていないような気がします。つまり、したいことをしろ、何よりも自分の欲望を優先しろ、とわめき散らしているわけです。その大音量の中で、しなければならないこと、倫理を語って、何人の耳に届くのか。

福田 前回に江藤淳先生の話をしていただきましたが、『魂』は江藤さんに読ませたかったですね。江藤さんが『成熟と喪失』の中で、第三の新人たちが治者になる責任を気づく地点に立っていると書いた。それからどうなるのかというところで『成熟と喪失』は終わっているわけです。安岡章太郎さんにしても庄野潤三さんにしても小島信夫さんにしても、基本的にその責任に対してほとんど対峙しなかったわけですね。

 その問題が放置されたままで四半世紀がすぎたときに、柳さんが家長たる責任というか倫理、しなければならないことというのを書いた。しなければならないことを正面から言ったというのは、戦後の文学の流れの中ではかなり画期的なことだと思います。そのような小説が出て来たことを、江藤先生がどうお考えになったかなというのは非常に興味があるし、逆に言えばそういう問題枠としてこの『魂』という作品は考えられなければいけないと思います。

 この作品はノンフィクションだと規定したくないんです。小説です。おそらく私の代表作になるでしょう。

福田 ノンフィクションというのは、事実の影に隠れてのナルティシズムですからね。

 『命』はあちこちで批判されましたが、『魂』は完全に無視されています。なにしろ、新聞、週刊誌はおろか、文芸誌でさえ書評を載せないんですから。

福田 でも、最終的には公平な評価が残りますよ。

*        *        *

 父親の意識というのが読めません。福田さんだったら、妻以外の女性に子どもができたら会いたいと思いますか。

福田 男性にとって、一緒に暮らしていない子供を自分の子供としてとらえるのは努力が必要ですね。

 父親というのは、影みたいな存在だと思うんです。しかし影としては永遠に存在し続ける。母親というのは実在だけれど、父親というのは観念というか……。

福田 フィクションですよね。役割を自分で選んでいく立場にならざるを得ないですからね。

 せめて息子の陰影として接してほしい。男の子だから。女の子だったらここまで思い詰めなかったのかもしれないけれど。男の子はいつか父親になります。

福田 『魂』の中で、彼は柳さんを「棄てた」けれども丈陽君は「棄てている」という、過去形と現在形をはっきり区分して書いていた。その使い分けの感覚というのが倫理ということなのだと思います。そこをきっちり意識するということが。進行形と過去形を区分するためには、かなり潔癖な意識がないとできないですからね。

 福田さんは読者という存在を意識したとき、ご自身の倫理観は伝わっていると思われますか。

福田 自分に対して大甘に言うと、たぶん感覚とか好みなどは伝えられている気がするけれども、そこまで行くのは難しいなという気が、正直言えばしていますね。

 突き詰めると、倫理にしても血を流さざるを得ないところに行き着くのではないでしょうか。それを伝えられるか伝えられないか。

福田 そこまで読者に迫れているかどうかは疑問ですね。自分がそこまで実行しなければならないわけだし、読者に覚悟を問うところまで行けるかどうかは、簡単ではないですから。

 でも私は書きたいです。読者が喉元に匕首の切っ先の点を感じるような作品を、倫理を、書きたいです。

(全文終了)

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