【Part5 戦後文学の画期としての『魂』】
●柳美里 でも、倫理を伝えるというのは難しいですね。
○福田和也 理念的に言うことは簡単だけれども、それを実際に理解し納得させることはたいへんです。
●柳 社会全体が、欲望を煽りたてて消費させる仕組みになっています。テレビにしても雑誌にしても、それこそ育児雑誌でさえ、お前たちは消費者だとしか言っていないような気がします。つまり、したいことをしろ、何よりも自分の欲望を優先しろ、とわめき散らしているわけです。その大音量の中で、しなければならないこと、倫理を語って、何人の耳に届くのか。
○福田 前回に江藤淳先生の話をしていただきましたが、『魂』は江藤さんに読ませたかったですね。江藤さんが『成熟と喪失』の中で、第三の新人たちが治者になる責任を気づく地点に立っていると書いた。それからどうなるのかというところで『成熟と喪失』は終わっているわけです。安岡章太郎さんにしても庄野潤三さんにしても小島信夫さんにしても、基本的にその責任に対してほとんど対峙しなかったわけですね。
その問題が放置されたままで四半世紀がすぎたときに、柳さんが家長たる責任というか倫理、しなければならないことというのを書いた。しなければならないことを正面から言ったというのは、戦後の文学の流れの中ではかなり画期的なことだと思います。そのような小説が出て来たことを、江藤先生がどうお考えになったかなというのは非常に興味があるし、逆に言えばそういう問題枠としてこの『魂』という作品は考えられなければいけないと思います。
●柳 この作品はノンフィクションだと規定したくないんです。小説です。おそらく私の代表作になるでしょう。
○福田 ノンフィクションというのは、事実の影に隠れてのナルティシズムですからね。
●柳 『命』はあちこちで批判されましたが、『魂』は完全に無視されています。なにしろ、新聞、週刊誌はおろか、文芸誌でさえ書評を載せないんですから。
○福田 でも、最終的には公平な評価が残りますよ。