【Part4 プラスとなった出産、育児経験】
●柳美里 けれど、子どもは親の欲望の実現をはばむ障害物ではありません。子どもは、親に欲望の空しさ、義務、責任を負うことの喜びを自覚させてくれる重要な存在です。
○福田和也 じつは、最近女性がそういうことを言い出したような気がしています。『新潮』の新年号に「家の誇り」という小説が載っていて、描かれている状況設定は柳さんの作品とはまったく違うけれど、ある意味ずいぶん似ている部分があった。女性がそういうことを言い出すようになったというか……。
●柳 倫理を。
○福田 今まではどちらかというと父権の論理で社会が成り立っていて、男が家長で統治者であった。どんどんその意識がなくなって、男性自体が一種の反抗児というか、柳さんの言葉を借りると「したいこと」をずっと主張してきたと思うのです。
でもしたいことを皆がしはじめたときに、いや、したいことではなくて「しなければならないこと」を背負わなければいけないんじゃないかと、あるいは柳さんがおっしゃるように、それを負わされたことが楽しいということを、女性が言い出したのが非常に興味深いと思っています。
●柳 東さんのことも、私としてはしなければならないことでした。恋人だった人というよりも、私が書くかぎりにおいて彼はただ一人の師匠です。生後2カ月の赤ん坊を血のつながりのない友人に預けたということで、母には責められましたが、私はまったく迷わなかった。
私は今でもさまざまな欲望を持っています。でも、欲望に従って行動することを制限されてみて、今まで私が流されていた欲望というのは、あんまり価値がないなと思うようになりましたね。
周囲の人からは、「すごいストレスでしょう」と言われるんですが、意外とストレスがないんです。原稿の締め切りなどには円形脱毛症になるほどのストレスを与えられるんですけれども。逆に子育てに時間を割けないことがストレスになっているぐらいです。1日、6、7時間は書いていますから。
それと、出産するまでは、子どものときに親にやられたことを、親になったら子どもにやってしまうんじゃないかという不安を持っていたんですけれど、その危険はなさそうです。こんなことでは声を荒げないぞ、手を上げないぞと微笑んでいる余裕があります。でも、かたや虐待はものすごく増加していますね。
○福田 虐待するのは愛情がないからというより、むしろ逆に、自分に引き寄せすぎているからじゃないかという気がしますけどね。
●柳 私は今家を建てようとしていて、間取りを考えているのですが、子どもの間は居やすくて、ある程度の年齢になったら居づらい家にしなければと思っているんです。母子家庭で一対一なので、ずっといてほしいと思ってしまいかねないですから。高校生ぐらいになったら「外にいるほうが楽しいな」と思うように育てたい。今から、十数年後の別離を前提にして、社会からお預かりしているという感覚です。
最近食べながら、絵本を読め、テレビをつけろ、とあれやこれや命令するんです。「ああ!」と指差して。だから「そんなことだと、お嫁さんに嫌われるよ」と言って聞かせています。本当は母子関係に割って入る存在が必要なんだけれども、実の父親は逃げているし、彼の代役も見つからない。家という密室に母一人子一人だと、母子の意識は密着しやすいですから、私が距離を取らなければと思っています。
○福田 そう考えていらっしゃるというのはいいことですね。ところで僕は、娘とよく映画へ行くんです。行事的にしていて、あるペースで一緒に映画館へ足を運ぶ。
●柳 どちらが作品を選ぶんですか。
○福田 僕が選ぶときもあるし、彼女が選ぶときもあるんですけれど。それで先日『ジャンヌ・ダルク』を見に行ったんです。あれは最初にレイプのシーンがあるんですね。もう小学校6年生だから性的なことは大抵わかっているわけです。
そのとき面白かったのは、娘が横にいていきなりレイプされて殺されるシーンが始まると、なんとも言えない倫理的に嫌な感じがしたんです。娘は平気なんですね、そういうものだと思って見ているから。僕は自分ではそういう性的タブー感は持っていないと思っていたけれど、やっぱり原初的タブーってあるんだなと思いましたね。そこは柳さんの倫理とつながるんだけど。
●柳 私もおそらく駄目だと思います。たとえば中学生になった息子と映画を見に行ったとして、オナニーシーンから始まったとしたら、やっぱりいたたまれないでしょうね。
○福田 同世代とか個人ではタブーというのは成立しないのであって、世代が違う人間がいたときにそれがあるというのは発見でした。しかも子どもの側は平気で見ているんですからね。
●柳 母と娘、父と息子の組み合わせならばタブーではないと思うのですが、異性の親子の場合は性はタブーですね。
○福田 娘が選んだ映画だったんですけれど。でも、自分もこう思うんだというのは、新鮮でした。
●柳 そういう新鮮さは日常生活の中でも見つけられます。息子のからだを洗ってやっていると、おちんちんをにぎにぎするんです。やっぱりやめさせようとしますものね。真剣にやめさせようとしている自分がおかしい(笑)。
産む産まないで迷っていたときに、当時別居していた東さんに電話をかけて相談したんです。そのときはまだ癌だとわかっていなかったのですが、「子どもを産めば、まったく新しい関係性ができるだろう」と言ったんです。
「あなたは今までの関係性の中で書くことには、行き詰まっているのではないか。産んだら書けなくなるのではとおそれているけれど、それは杞憂だよ。作家にとって、しなくてよかったという体験はない。ぜったいに産んだほうがいいよ」と。東さんの言う通り、作家<柳
美里>にとって出産、育児という経験はプラスだったと思います。書きたいものが増えました。
○福田 共感の範囲などが全然違うようになりますからね。