【Part2 言葉、国籍、文化継承……】
○福田和也 凡庸なたとえですが、『命』はベートーベンの派手な協奏曲の世界で、『魂』はブラームスの室内楽というような感じがすごくしましたね。静かなのだけれども、非常にきっちりできていて、作品の中の時間の流れが非常に堅固で。
時間をどう読者に意識させるかは小説の中で一番大事だと思いますが、それが作品としてしっかりできている。スキャンダルとかドラマになるようなマテリアルはないけれども、しかし考えざるを得ない、立ち止まらなければいけないところがたくさんあります。
たとえば国籍という文化問題につながることとして、初宮参りが描かれている。この場面はドラマティックでしたが、行事とはそう馬鹿にしたものではなくて、尊重しなければならないのはそこで透けて見えるものがあるからですね。
●柳美里 息子の初宮参りは、東さんがとてもこだわっていました。痛みが激しいときでしたが、モルヒネを多く入れてもらって病院から脱け出して参加しました。「丈陽の行事にあといくつ参加できるか、もしかしたらこれが最後かもしれない」と、それこそ這ってでも来るという感じでした。
○福田 逆に言うと、それを一つ一つ積み重ねていくことが大事だったり、喜びだったりするわけですからね。
●柳 節目をつくるというのは大事ですね。節目をつくらないと、日常は際限なくだらだらと流れていきますから。
○福田 国籍は言葉と文化だと書かれていますね。百パーセント同感なのです。前に西部邁さんと国籍の問題で、法律とか何かを全部超えてこの人に国籍を与えるか否かという条件を自由に考えたとき、何を要件にするかを話したことがあります。
西部さんがおっしゃって同感だったのは、日本語を理解するということでした。日本語を理解するというのは日本の文化を理解するということですね。それになおかつ日本人になりたいと思う……。
●柳 私もまったく同感ですね。
○福田 それは国籍を認めるべきだという話になったんです。要するに血統的ナショナリティではなく、やはり文化だという話になった。柳さんもそのように書いていらっしゃいますね。
●柳 血は覚悟なしに流れてしまうものです。でも、文化というものは覚悟と決意なくしては体得することができません。私は息子の国籍を日本にしたときに、日本文化を継承させることを決意し、覚悟しました。いっぽうで、私はいま韓国語を学んでいるのですけれども。
○福田 もし差し支えなければ、なぜ学んでいらっしゃるのですか。
●柳 息子を日本国籍にしたことで、逆に母親である私が韓国籍を捨てないでいる根拠のあるなしを、突き詰めざるを得なくなりました。その国の言語を理解する意志が皆無なのに、国籍を保持しているのはおかしいので、どれくらい時間がかかるかわかりませんが、韓国語を理解してみようと思ったわけです。韓国の歴史教科書や朝鮮史の本なども読んでいます。
私の両親は、叔父、叔母、祖父母をサンチュン、コモ、イモ、ハンベ、ハンメと韓国語で呼ばせたり、正月や家族の誕生日には韓国料理を食べさせるといったようなことはやっていたのですが、やはり日本文化の割合が圧倒的に大きかったので、私たち子どもには韓国文化と言えるものは残らなかったんです。
意識的に言語を習得してみて……韓国籍を保持するのか、日本籍に変更するのか、選択します。
○福田 『GO』の金城さんが出て来た時点でこういう括り方をすること自体がナンセンスですが、いわゆる在日といわれる人の中では金石範さんのように最初は韓国語で書いて日本語になった方とか、李恢成さんも非常にアンビバレントな部分を持っていらっしゃいますよね。柳さんはそういう文学的な問題意識というより、丈陽君の……。
●柳 親としての意識が大きいですね。
○福田 それは、でも、興味深いですね。
●柳 初宮参りの和服も単なるコスチュームとして着たわけではないんです。息子に日本文化を継承させるという決意を持って、他国の民族衣装である和服を身にまとったのです。私の母も、日本人である丈陽の祖母として和服を着て参加しました。
私の一族の中で日本国籍を有するのは丈陽ただ一人です。そのことを失念して、母はよく「だからイルボンサラン(日本人)は」というような言い方をするんです。以前は聞き流していましたが、現在はイルボンサランの息子の母親として聞き流せません。
けれど、息子はいつか、自分の国籍のことで葛藤するでしょうね。国籍の根拠は父親が日本人だからです。父親は、自分が母親の胎内に居るときに逃げ、見捨てた。このまま彼が見捨てつづけた場合、丈陽は自分が父親の国籍を有していることを否定的に捉えるかもしれない……。
○福田 国籍は文化だという意味では、特に男の子にとっては文化というものを父親から得るところがすごく大きいですからね。