【Part1 トーンが変わった理由】
○福田和也 前回は『命』が出たときにお話を伺って、その続刊の『魂』が出ました。丈陽(たけはる)君が成長していくと同時に東由多加(ひがし ゆたか)さんの最期までという過程が、『命』の続編というかたちで書かれています。まずお伺いしたいのは、『命』の続編というかたちではあるけれど、読んでみるとかなりトーンが変わったという感じがしたのですが、その点はいかがですか。
●柳美里 まず大きなこととして、『命』は連載半ばまで東さんが存命でした。『魂』は東さんの死後に書いたものです。そして、『命』は10カ月にわたって起こった出来事を1冊にしたものですけれど、『魂』は60日ですから、時間の流れがまったく違う。
そういう意味では別の作品ですね。ページ数にしても、10カ月を1冊にした『命』より、60日を1冊にした『魂』の方がはるかに多いんです。刹那に執着して書いたと言えるかもしれません。
○福田 非常に感心したというと失礼なのですが、大きな印象を受けたこととして、ある意味でマテリアルが少ないですね。『命』の場合は丈陽君のお父さんの話などいろいろあって、その後東さんの話があってというかたちで、ある意味で波乱万丈の要素があったわけですが、『魂』の場合、読者はそのストーリーがもう分かっている。闘病生活があり、それに関わって丈陽君のことがあって。もちろん韓国での伝えられ方とか、いくつか材料はあるとしても、割と少ない材料の中でそれをじっくり書き込んでいらっしゃる。
あと、レトリックがすごくシンプルですね。これまではどちらかというと身振りの大きい文章で書かれていたのが、声を張り上げる場面がないんだけれども、静かな声がものすごく倍音となって重なっていくような書き方になっている。そこが、これは全然違う作品であると同時に、「おっ、すごいな」というように思いました。
●柳 レトリックに違和感を感じたんです。いつものように使ってみたんですが、結局全部削ってしまった。出来事は『命』よりも少ないのですが、その一つ一つの出来事にレトリックを拒絶されました。それで淡々と書き刻んでいくしかなかったわけです。でも、どうなのでしょうね、読者は……。
○福田 一部の人たちが、これは文学じゃないというような言い方をしているけれど、『魂』は――こう申し上げるとまた怒られるかもしれないけれども――柳さんの作品の中で一番純粋に文学的なものではないかなという気が僕はしているんです。
●柳 そうかもしれないですね。
○福田 抗癌剤云々の話を淡々と書いていらっしゃる。盛り上げようと思えば切ってしまうディティールです。その切ってしまう話をすごく丁寧につきあっていて、たとえば奇跡の癌医と言われている人物のところへ行ったら、代表的な抗癌剤の名前さえ知らない。そういう普通は切るようなエピソードも全部折り込んでいらっしゃって。それがきちんと読み応えがある。しかもそれを読んでいくことで、読者が濃縮した時間の中に入っていくという感覚があると思うのです。
作家は読者を自分の世界に引き入れようとするとき、やはり胸倉掴んで引きずり込むというようなことをするじゃないですか。でも『魂』の場合は、闘病に関わるディティールが書き込まれることによって、そこに自然に読者が入っていく。寄り添っていくというようなかたちですね。だからジャンルとして私小説かどうかは別として、独特の時間意識と読者の関係ができている感じがして、非常に読んでいて嬉しかったし面白かったですね。
●柳 明らかに違いますね、今まで書いてきた小説とは。
○福田 そう思います。
●柳 書きながら、今までと同じ手法では書けないなと思った。ですから一冊の完成度としては、『命』より数段高いと思っているんです。
○福田 僕もそう思います。読者の反応はいかがですか。
●柳 読者は、例えば福田さんが先ほどおっしゃられた医療の話を長いと感じるのでしょうね。
○福田 でも、たとえ癌でなくても同種の心配をすることはあるわけですからね。自分や近親者が、抗いがたいけれども何とかしなくてはいけない過程に巻き込まれることはあって、絶望したり右往左往してみたり、ほんとにつまらないものにすがったり、つまらないと思っていたら実はすごく頼りになったりということの繰り返しじゃないですか。それを書いていくこと自体には、普遍性があると思いますね。
●柳 その右往左往を要約したり省略したりしたくなかったんです。それをやったら現実の手触りと大きくずれてしまいます。なんとしても、私を傷つけ、削った現実を、私に残ったヤスリの目の跡を描きたいと思ったのですが……『命』の読者の大半は離れるでしょうね。
編集部に届いた手紙を読むと、『命』はある種の昂揚感の中で読んだ読者が多かったのに対して、『魂』は静かな印象を受けた人が多かったようです。編集者たちの反応も、『魂』は少なかった。
しかし、私の内と外で起こったことの細部を文字で刻みたいという、作家としての意識に忠実になるしかなかったですね。どう読まれるかということよりも。
(Part1 終)
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