【Part2 「個人」ではなく、「個」へ】
●横尾忠則 そこで僕の中のなにかが大きく変化したんですね、これはチャンスだと思った。20日間でアメリカとヨーロッパを1回りする予定だったんですけれど、気がついたら4
カ月ニューヨークにいました。それから東京に帰って、またすぐ出掛けていくみたいな感じで、変わるんだったら今、ここしかないという気持ちでした。
○福田和也 変わるというのは、どういうことだったんでしょうか?
●横尾 それはなんなのでしょうね。自分の人格みたいなものが、もし変えられるんだったらというか。あとはドラッグを経験して、我々の認識していた現実ではない、もうひとつの分離された現実と言ったらいいんでしょうか。それを感じたときに、初めて意識というものをもう少しちゃんとというか、今までおろそかにしてきたような気がしたので、これからは無意識だけではなくて意識というものを身につけようと思ったのですね。
それと共にもうひとつ、シュールレアリズムの影響なんか受けたりしていましたから、理性の外側に立って初めて芸術が成立するみたいにそれまで思っていたのですが、逆に僕の中では理性みたいなものが立ち現れくる感じがして……。
○福田 狂気というか、カオスの中にある理性みたいなもの。
●横尾 ええ。それまでは例えば直感とか、そういったものを諸手を挙げて受け入れていたけれども、直感だけじゃダメだっていうことを思って。だから直感と、僕自身の本性が、もっと話し合い、交渉し、取引しあって、果してこの直感は正しいのかという判断をしなければならないと思った。そのときに、やはり理性というものが必要だなということを思いましたね。
そのころは、理性なんて邪魔っけなものだと皆が思っている時代でしたから。僕もそう思っていましたし。でも、実際には一方で、頭で考えていることと身体の要求していることが分離していくんですよ。それでどちらに従っていいかわからないという気持ちになってしまった。
つまり心のほうに重点を置いていたのが、だんだん肉体に対する関心が高まってきたと言ってもいいでしょうか。我々が生きているということ自体は、心でもなんでもなく、肉体だなというようなね。そういう肉体に対する考えが、すごく強くなったんですね。肉体の声を聴くとか、肉体の思考みたいなものに、どう従っていくか。それが、そのとき僕のやろうとしているアートと重なってきたというか。
○福田 そこで、今に続くまでの基本の線が決まったということでしょうか?
●横尾 そうですね。それともうひとつ、自分が「個人」というのではなくて、「個」ではないかなっていう、そういう感じを持ったんです。それまでは「個人」でやってきたような気がするんですよ。
○福田 個人ではなくて、個。
●横尾 個人というのは、やっぱりそこに自意識も入ったり、想像や想念も入ってくる。想念は否定することはできないけれど、ただそれに振り回されたくないし、想像というのもいい加減なもので、じつは想像する必要なんてないんじゃないかと。それからできれば、自意識も邪魔になる。とにかく、個人ではなくて、「個」というものが、自分の中から立ち上がっていく感じを受けたんです。
果たして個というものに、なれるのかどうかと思って。作品をつくったときに、個人では普遍的なものとつながらないかもわからないけれど、個というのはもしかしたら、そういう普遍的なものにつながるのではないか。
あるいはもっと話を拡大すれば、宇宙原理みたいなもの。個になれたらそういったものの軌道に乗れるんじゃないかと思ったのです。言い換えれば、個人という意識を持っている以上、それは無理じゃないかと思ったわけですね。
○福田 想念とかそういった余計なものは全部抜け落ちているんだけれども、そのまま宇宙全部を貫くというような、そんなイメージでしょうか?
●横尾 そうですね。宇宙原理のようなものが、なにかあるような気がするんですよ。ひとつの統一された秩序と言ったらいいのでしょうか、それと我々の生命維持と、どこかで結びついているという気がするのです。
その宇宙原理のようなものとつながるためには、個になれるかどうかではないだろうか。個人では大したことができない。できないというか、作品ではなく生きていくのにですね、個人で生きていくのは辛いな、下手すると地獄だなという気がするんです。もし個になってしまえば、宇宙意識を働かすことで宇宙の原理と、同化できるような気がしますね。
○福田 それは先ほどおっしゃった、心ではなくて身体だということとつながる感じでしょうか。
●横尾 つながりますね。だから五感を、いつも認識して。それから特にものを作る場合は、生理的感覚によって作りたい。頭でコンセプトを立てるのではなくて、生理に従うという方法で。そこには無理もないし、もっとも自然でいいんじゃないかと思うんです。もちろん妙な自我意識も出てこないし。
我々が健康であったり心が乱れていない状態となるためには、たぶん生理に従った状態のときが一番いいと思うんですよ。日常の生理というのは、例えばお腹が空いたから食べたいとか、喉が渇いたとか、暑いから脱ぐとかですね。そういう生理にしたがうことを、創作の場でもできるんじゃないかと。子供のころ、全部そういう風にやってきたような気がするんですよ。
60年代に集中的にたくさんの作品を作った時期のことを回想しますと、かなり生理的、肉体的に行動していましたね。だけどそれがいつの間にか、なんか違うほうに行ってしまったかもしれない。もう一度、今それが再び必要なんだと感じているんです。
○福田 今は生理のほうに戻っていこうと。
●横尾 ええ。