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Part1
三島由紀夫の印象

Part2
「個人」ではなく、「個」へ

Part3
ウォーホルへの親近感

Part4
ピカソの20世紀を越えて

Part5
思念ではなく、肉体で

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(1/全5回) 2000.11.20

【Part1 三島由紀夫の印象】
福田和也 とにかくものすごく多彩な活動をされていますよね。

横尾忠則 いや、そんなことない。もう、今の人たちにはかないません。今の人って言うとあれですけれども。

福田 とんでもない。絵画はもちろん、写真もお撮りになるし、ポスターもある。本の装丁からレコードジャケットも。ペインティングだけでなく、じつにいろんなことをされていますよね。

横尾 そう言われてみると(笑)。別に新しいメディアに興味があるということではないんですけれども、ひとつなにか作ると、そこからどうしても派生していくんです。するとまたそこから次のなにかというふうに、増幅していくっていうのか、そういう感じで。

福田 例えば一時期は、最近の言葉で言えばコスプレというか、いろんな扮装をされてみたり。

横尾 あれはかなり昔から、バカみたいにやっていましたけれども。

福田 いえいえ。いまは例えば森村泰昌さんがなさっていますが、森村さんがどうこうではなく、同じようにいろいろな面で横尾さんが最初にやってらっしゃったことがたくさんあるんだなっていう気がしたんです。

横尾 まあ、森村さんみたいにひとつの明快なかたちでは、僕は長続きしませんので。

福田 すごく多彩なことをされてきたのは、さっきおっしゃったように、活動をしているうちにどんどん動いていくことになったという感じですか?

横尾 そういうことと、外部からの要求に応えた結果そうなっていく場合とありますね。僕の中にある複数の私、あるいは個人と言ったらいいのか、それが出たがっているみたいですね。「今度は俺の番だ」みたいなね。

福田 いわゆるアーティストの場合、そんなにスタイルを変えないことのほうが多いのですが。

横尾 多いですね。

福田 これと決まれば、一生テンペラをやっているという方のほうが多い。

横尾 ところが僕に言わせると、それはもしかしたら、社会的要求とか外部の要求に従っているんじゃないかなっていう気がするんです。こんな言い方をすると、文句を言う人がいるかもわからないけど、美術界の中で生き延びていくというためには、複数のアイデンティティなんて持っているよりも、ひとつのアイデンティティのほうが評価も固まるし、評価されやすいということもあるんじゃないかなと思うんですけどね。

福田 特にアメリカはそうですね。同じスタイルを続けないと、逆に厳しいところがありますね。

横尾 そうなんです。僕は追究するとか探究していくという風なのは、ちょっと嫌で、変化していくほうが生きてるなっていう感じがするものですから。

福田 あと、横尾さんのお仕事をずっと拝見していくと、同時代に対する感覚が非常に強い感じがします。たとえば三島由紀夫とか、あるいはビートルズのジョン・レノンとか、そういう人との感応関係の中で変わっていくということもあったのでしょうか?

横尾 特に30代までは、そういう意識が強かったですね。流行に対しても、時代の潮流に対しても、すごく敏感だったんです。最近はむしろそういったものには、もう自分の中でついていけないという気持ちがあるし、ついていく必要もないとも思うし。むしろある意味で自分の中で貯めこんだもの、それを吐き出していくということしかないんじゃないかという風に考えています。

福田 60年代の流行というか、その時代が持っていた力というのは、今とはまったく違いますからね。今はもう、あのころの意味の流行というのはないと思います。

横尾 ええ、そうなんですよ。それ以前もまた、流行というのはあまりなかったような気がするんですよ。

福田 やっぱり60年代から70年代半ばぐらいまでが、特別だったという感じがされますか?

横尾 だと思いますね。50年代には福田さんはまだ生まれてらっしゃらなかったわけですが、 50年代における僕たちの時代の象徴になるものを探そうとしても、ファッションにしてもなんにしてもなかったんですよ。流行はあるにはあったのでしょうけど、それがすぐ情報化されてあっという間に社会化していくということは、なかったような気がしますね。

福田 60年代にいろいろな方と付き合われて、一番印象深かったか方というのはどなたですか?

横尾 仕事を一緒にした中では寺山修司とか、唐十郎くんとか、三島由紀夫さんとか。

福田 三島さんが亡くなって今年はちょうど30年ですね。僕もちょうど10歳ぐらいだったのですが、やはり非常に印象深く覚えています。三島さんについてはいかがですか?

横尾 僕が三島さんにまず憧れたのは、三島さんの文学じゃないんですよ。三島さんに興味を持ったのは、行動する作家に興味を持ったのと、それから三島さんは自分の中で聖俗一体化してしまうところがあるじゃないですか。僕の中に迷いとしてあることが、三島さんを見ているとそのキャパシティの大きさとその差がすごく激しいので、人間てこれでいいんだろうというような、そういったところに関心を持ったんです。

福田 確かに三島さんは、片一方で『英霊の声』という作品を書きながら、もう片一方ではそれこそアングラ芝居に関わったりもされていましたね。

横尾 女性週刊誌の『微笑』のグラビアに出ていらっしゃるわけですからね。あれはある意味で、僕自身をすごく安心させました。もちろん三島さんのハイ・アンド・ロウの、そのハイのほうは深淵なのですが。けれどどう見ても小説家らしくない。

 初めて会ったとき三島さんに、まずいことを言ったんです(笑)。「僕、三島さんの小説を読んでます」と言ったら三島さんは憮然として、ブスッとしてましたね。そんなことより、俺の映画が面白かったぐらいのことを言って欲しいみたいな、そういう感じの人でしたね。

福田 今度、ワイズ出版というところから、三島さんの映画評ばかりを集めた本が出て。それを読むと、こう言ってはなんですが、くだらない映画もいっぱい観て喜んでらっしゃる。まずヤクザ映画を本当に細かく観ていらっしゃるのと、ギャング映画ですよね。

横尾 僕は高倉健さんが好きだって言ったら、三島さんは「俺は鶴田浩二」だ、と。「どこがいいんですか?」と聞くと、鶴田浩二の目の下の、なんていうんですか、クマがいいんだとかね。そこに日本人の情念が表れているとおっしゃってましたけどね。でも、市ヶ谷に行くときは、健さんの『唐獅子牡丹』を歌いながら行っているわけですよね。

福田 あと、サンタナとかジョン・レノンといった海外のミュージシャンともお付き合いがありましたが、インスパイアされたのは?

横尾 やっぱりビートルズでしたね。ビートルズさえ追っかけていれば、世間のことがみなわかるっていう。いつでも彼らをとらえる距離にいれば、彼らを通して世界を理解できるんじゃないかなっていう、そういう対象だったですね。

 だから彼らがインドに行ったときは、さすがに僕の中で、これはもうついていけないとガタガタッとしましたね。それが66年ですね。僕は67年にちょうどニューヨークに行って、サイケデリック・ムーヴメントの真っ只中だったんですよ。まだ、その言葉自体も、ちゃんと意味付けられていないようなときだったと思います。

 そこで僕の中のなにかが大きく変化したんですね、これはチャンスだと思った。

(Part1 終)

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