【Part4 格差の時代――メガコンペティションの時代】
国民はおおいなる意識の変革を求められ、新たな時代に適応してゆかねばならない。アジア経済の台頭は、かつて日本が製造業の急速な強化により、輸出主導で経済成長を加速していった経過とだぶる。国際分業体制は時間の経過とともに構造変化を示す。かつて日本の産業が欧米の製造業部門を代替していったことと同様の変化が、いま日本とアジア諸国との間で生じている。こうした変化は中長期で見れば避け難い変化である。
日本の各経済主体は、これから日本で発生する大規模な構造調整をあらかじめ予知し、十分な心構えを持つと同時に、時代の変化に適切に対応してゆかねばならない。90年代の米国では、非常に大規模な調整が急激に進行し、米国民はその変化をなんとか吸収していった。米国経済は復活を遂げ、米国企業の競争力は回復し、株価は大幅に上昇した。90年代、米国経済は大いなる成功を実現した。
しかしその言わば「光」の裏側に、無視し得ぬ「影」の部分が存在したことを忘れてはならない。多くの中間所得者層は職を失い、失業状態に陥った。新たに獲得した職場においては、大幅に年収が減少する苦しみを味わった。日本においても似たような変化が発生せざるを得なくなる。
我々が踏まえておくべき重大な変化を二つ挙げることが出来る。第一は産業構造の大転換である。製造業の立地は、順次アジア等の地域へ移転する。国内では製造業分野の雇用吸収力が低下する。この過剰労働力は新たに日本で成立する産業に吸収されなくてはならない。その有力な候補が流通、外食、生活分野、ヘルスケア、そしてその他のサービス分野である。
90年代の米国では、これらの産業に加え、情報通信関連産業が最大の雇用吸収産業となったが、日本においてそれが成立するかどうかは明確でない。米国は情報通信関連産業において、すでに国際的標準を占有してしまっている。米国の情報通信関連産業が世界の市場に対する供給のかなりの部分を占有してしまっている。日本経済の浮上のために情報通信関連産業の強化は不可欠であるが、それがどこまで拡大し得るかは不確定である。
交易財を生産する産業の立地は労働コストの比較優位から、必然的にアジアへシフトしてゆく。先進国では非交易財を生産するサービス産業を中心とした産業が雇用を吸収することになる。それが流通、外食、生活文化、ヘルスケア、そしてその他のサービス産業である。こうした産業は一般的に言えば、比較的生産性の低い産業分野である。製造業でホワイトカラーの職種に就いていた労働者は、職を失い、再就職する際に上述のサービス産業における労働を選択せざるを得ない。所得水準は大幅に低下するケースが多い。
他方、企業の雇用形態における長期雇用、年功制の慣行は徐々に、しかし確実に崩壊してゆくことになる。年功制は長期雇用を前提に、生涯所得の支払いに傾斜をつけた制度であった。労働者が中高年に差し掛かったときに高い所得を手に出来るのは、若年時に低い所得に甘んじていたことに対する補償の意味を持つ。ところが、国際競争の嵐に直面し、また企業のバランスシートの悪化に直面し、企業は労働コストの低下を迫られる。その際、間違いなくターゲットとされるのが中高年労働者に対する相対的に高い賃金である。
年功制は徐々に崩壊し、能力給的な色彩が強くなってくる。日本経済は今後、大きな構造調整を乗り越えてゆかねばならない。労働者は産業間での移動を迫られることになる。
1990年代の米国における構造調整は、「格差の拡大」の側面を色濃く持った。企業は競争力を回復した。また収益力も高めた。その結果、株価は大幅に上昇した。その恩恵を手にしたのは株主層である。
一方、中間労働者は没落した。国民所得に占める所得シェアは8割の人々にマイナスに作用した。富裕層2割が経済拡大の恩恵を一手に収め、残り8割の労働者階層は相対的に没落したのである。
競争の時代は「格差の時代」でもある。競争激化のなかで、企業が効率経営を迫られることは間違いない。効率経営は資本のリターンを高める一方で、労働者に対する分配を減少させる側面を持つ。資本主義の宿命として、こうした格差の拡大を推進する力がより強く働いてゆくことに十分な留意が必要である。