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Part1
客観報道という美名の弊害

Part2
リスクと責任をとれ

Part3
逆風を越えて原点に戻れ



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田原総一朗 ジャーナリスト
2001.10.09

【Part1 客観報道という美名の弊害】
 いまの日本のマスコミは、新聞もテレビも同じだが、非常に臆病すぎる。
 そうなった理由として、歴史を振り返ってみると次のような点が指摘できる。第二次大戦に負けたあと、ドイツと日本はGHQに全く違った占領の仕方をされた。

 中でもいちばん大きな違いは、マスコミであった。ドイツの場合は、戦前、戦中の新聞は全部つぶされ、新しい新聞に変わった。だから戦前、戦中の新聞は残っていない。それに対し、日本ではつぶさなかった。だから朝日、読売、毎日など戦前からの新聞がそのまま残っている。
 その理由の一つは、日本を途上国だとバカにしていたのだろう。教育してやれば、自分たちに都合がいいように変わると見たのではないか。つまり、先進国が後進国に対するような扱い方だった。

 占領軍は戦後日本を間接統治した。総理大臣も閣僚も官僚も組織としてはほぼそのまま残り、GHQがその上に立つ仕組みである。
 それに対して一般的には知られていないが、マスコミだけは直接統治をした。その点は全く違うのである。一つは検閲を徹底的にやったことで、もう一つは日本のマスコミに「教育」をした。その教育の中で、GHQが打ち出した一つが、客観報道というものであった。ようするにマスコミは、公平で、公正でなければいけない。間違った情報を流してはいけないと、これを徹底させた。
 それが残っている一番悪い習慣が、記者クラブである。客観的で間違っていない報道としては、各省庁の発表報道はぴったりである(実際には間違った発表もたくさんあるが)。だから発表報道を、いまの新聞もテレビも、異様にメインにしている。新聞記事などはほとんど発表報道だと言ってかまわないだろう。

 それが続くうちに、マスコミはあぐらをかいてしまった。リスクをとらず、安全圏で報道をするようになった。
 言い換えれば、責任をとらない報道になってしまったのである。
 責任をとらない報道とは具体的に言えば、たとえば靖国神社に小泉首相が8月15日に参拝せず、13日に前倒ししたときである。新聞もテレビも「15日にいくべきだった」という意見と、「13日でよかった」という意見と、必ず両論を併記する。しかもその両論併記が、外部の学者や専門家からのコメントによってなされている。
 では、いったいその新聞、テレビはどう考えているのかということである。
 本来ならばそれぞれの新聞社の腕利き記者に、「私はこう思う」と書かせるべきである。ところがそれがない。だから結局何を主張したいのか、良いと考えているのか悪いと考えているのかさえわからない。社説があるではないかと言うかもしれないが、無署名の社説には人格がない。

「私はこう思う」という部分がない。これが「客観報道」という美名の正体なのである。
 責任をとらず、安全圏でしか報道していない。新聞を例にあげてきたが、テレビもまったく同様である。

(Part2へ続く)

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