【第2回 歴史に描かれないエモーション】
○福田和也 この『彗星の住人』という小説には、口承の現れとしてのいわゆる民衆史みたいな性格があります。ただ、それをそのまま出しているわけではなく、男女がいろいろ入れ替わりながら、日米の20世紀の中に重層的に重ねられているわけですね。
それともう一つ。皇室に関わる『伊勢物語』も『源氏物語』もみんな口承に基づくものです。皇室については三島由紀夫がやはり最も一生懸命に考えたと思いますが、皇室における口承という視点を逃してしまったり、ないことにしてしまっては文学が成り立たないのは事実です。
●島田雅彦 天皇の実際のお気持ちはわかりませんが、遠い神話の世界の先祖を持つ気分とはどういうものでしょうね。ただ、だれしも思わぬところで思いもよらぬ先祖と結びつけられる可能性は持っているわけですよ。普通の人は
3代前ぐらいにしか遡れませんけれども、 仮に4代、5代、6代、10代、15代と遡っていったとすると、そこで思わぬ武将の先祖とか、思わぬ極悪人の先祖にぶつかる可能性はありますからね。
例えば第二次世界大戦に出兵したおじいさんやひいおじいさんは、戦地でどんなことをしたかについて語りたがらないことが多いだろうし、語っても真実を語っていないかもしれない。そして、もしそのおじいさんが何をやったかということが明るみに出るような局面があったとしたら……? だれかが調べて書いていたり、突然、おじいさんの気持ちが変わってポツポツと語りだしたりしたら、そのときに自分の先祖として思わぬ人物が接合されるっていうことがあり得ますからね。
だから、そういう意味では、天皇は歴史を抱えている最たる存在です。そして、時にその歴史を内面化します。いまこの時点において、その歴史を背負っていることから自意識というのが生まれてくる。そこから感情も生まれてくる。そして、同じ契機はわれわれ全員が持っている。そう考えてみるならば、歴史っていうのはすべて個人的なものだともいえると思うんですよ。
無論、天皇はすごくパブリックな存在ですから、それをめぐって日本史も書かれ、だれもがパブリックな存在として天皇を見ますけども、ただ天皇ご本人にとってみればその日本の歴史がすごくプライベートな感覚を伴っているっていうところがありますよね。僕はそこがすごく興味深い。
○福田 この小説の中で、いくつかのジェネレーションを追っていきますよね。そうすると、現代の恋愛にも、錯綜したある種の地層みたいなものがあることがわかる。恋愛っていうか、関係ですね。関係性自体が単純な一時的なものではなく、ある種の蓄積というのかな。いくつかの層が積み重なったものとして、いまここにあるんだという感覚が出ているのが面白かったし、逆にそういうことをなぜあなたが書いたのかっていうことには非常に興味があったんだけれども。
●島田 そうですね。これは突然始まったというよりは伏線があるんですね。
大文字の“歴史”にこれだけ絡んだのは初めてだともいえます。ただ、これに先立って、『忘れられた帝国』という作品を書きました。あれは自分の記憶がたどれるぐらいの過去――ですから、ここ30、40年ですよね。そこで、自分が証言できる郊外の数々の出来事――極めて雑多な出来事ですが――それらをどこまで再現し記録することができるか。しかもそれをフォークロアのような語り口で、説話のようにまとめてみようと試みた作品です。
歴史というのはいろいろな出来事の集大成ですけれども、しかし、その出来事のはじまりには必ずエモーションがあるわけで、どんな偉大な事業も悪事もその根底では恨みつらみとか、あるいは反省とか未来への希望とか祈りとか、そういうものが動機になっているわけです。
でも、物事の重要な動機になっている感情は、歴史として記述される段になると全部消える。忘れられる。
僕も中年を意識しだしたときに、そして自分の子どもが小学生ぐらいになるときに、さて自分は小学生の頃何をしたかとか、そのときにどういうふうに感じたかというようなことを思い出そうとしたんですが、そう簡単にはいかなかった。
○福田 あなたのところは息子さんでしたね。確かに僕も娘のときはわからなかったけれども、男の子を持って怖かったのと得したなと思ったのは、わかる、ということですよね。克明にわかって、二度生きるような感触がありましたからね。
●島田 そうなんですよ。つまり自分の息子を通じて、もう一度小学校時代を体験しなおすという感覚なんです。
○福田 忘れられた感情を、蘇えらせること。作家が歴史と絡む意味には、その契機を創造するという意志もありますね。