昨年12月、書き下ろし長編小説『彗星の住人』を
上梓された島田雅彦氏。
かねてより親交の深い福田和也・本誌特別編集委員が
新作について、さらには文学の趨勢、時代の趨勢について聞く。
【第1回 小説家として歴史に絡む必然】
○福田和也 まず、新しいご著書である『彗星の住人』について、お伺いします。世紀をまたいだ作品ということで、2000年の12月の頭にまず第1部として『彗星の住人』が刊行されました。今年中に第2部を出される、ということですね。第2部のタイトルは決めていらっしゃいますか。
●島田雅彦 いや、未定です。
○福田 世紀を挟む形の長編小説であり、また、プッチーニのオペラ『蝶々夫人』を下敷きにしながら日米交渉史を踏まえつつ、20世紀の恋愛の形を書くというスタイル。発表されて、しばらく経っていますけれども、どうですか。反響というか、手応えみたいなもの、受け取られ方について、ご自分としては?
●島田 そうですね。いままでの僕の小説の、ある韜晦さを恐れたり期待したりしていた人は、そのスムースな読みごたえにまず驚いていたようです。無論、それは端から意識していたことですし、それこそ母が感動するように、と思っておりました。親孝行なので(笑)。
隣のおばさまからも、「よかったわよ」なんて言ってもらうことを期待して書いた意図は成功したかもしれないと思っています。この間、瀬戸内寂聴さんとお話しまして、「売れるんじゃない」と言われました。
○福田 そうですか(笑)。
●島田 まあ、瀬戸内さんの読者の 1パーセントでも読んでくださればと思っておりますが。しかし考えてみると、僕がやろうとしている歴史への絡み方っていうのは、ある意味で、瀬戸内さんがなさってきたことに似ているかもしれないとは思いましたけどね。つまり、伊藤野枝、大杉栄とその周辺について書かれた『美は乱調にあり』とかですね。
○福田 そういう意味では、似ているかもしれないですね。
●島田 要するに、人物と歴史についての絡み方ですね。特に恋とエモーションを通じて歴史の一断面を捉えようということでしょうから、その点で似ているのかもしれません。
○福田 ただ、瀬戸内さんの場合は実在の人物に則って書いていらして、あなたの場合は神話的なものとか噂話の中にしかないものに絡むっていう書き方をされているから、瀬戸内さんとはだいぶ違いますよね。
●島田 おっしゃるとおり歴史というのは、事実が記述されるべきですが、と同時にこうあってほしかったという希望も物語の形式で記述されてきたと思います。
つまり「忠臣蔵」というのは一方に実話の「忠臣蔵」がありますが、歌舞伎や映画、小説などに書かれてきたのは、こうあってほしいっていう希望がこめられた物語です。いわば、「忠臣蔵」というのは実話であると同時にフィクションなんですね。その集大成を「忠臣蔵」と人は呼ぶ。
そういう成り立ちから考えると、歴史家だけが歴史に絡むというのではなくて、こうあってほしかったという物語を、聞く者たちの欲求をすくいあげるようにして、小説家が歴史に絡むという局面は伝統的にあったともいえると思います。
○福田 それは大事なことですね。例えば義経がフビライ・ハンになったとか、鎮西八郎為朝が琉球に行った、などの話が昔からありますからね。
●島田 東北にジーザス・クライストも来ていますからね(編集部注:東北に“キリストの墓”がある)。
○福田 だから、事実としてではないけれど、噂話に基づいて義経縁起なんていうのは何回も何回も書かれているわけですね。それは事実じゃないから要らないものだっていうことにはならないわけですよね。
●島田 ならないですね。
○福田 逆にそういうふうに語っていくことのほうが、文学的な作業に近いということもありますね。
●島田 うん。つまり語り方次第で、多くの読者を感動させるなり獲得するなりすることによって、事実よりも強い影響力を持ち得るっていうところが面白いと思うんですね。そこが、小説家として歴史に絡むとき一番スリリングなところじゃないでしょうか。あるいは逆に、歴史上、事実とされていることにも矛盾が多いので、むしろ物語として巷間伝わることの中に事実が紛れ込んでいる場合があるわけですよ。