【第2回 論憲は3年、5年目には改正に着手を】
●中曾根康弘 私は憲法改正をしなくてもできると前から主張してきました。個別的自衛権も集団的自衛権も一体同根であり、言い変えれば、集団的自衛権は個別的自衛権のために存在するのですからね。
しかし、そのような集団的自衛権の行使が可能であるとしても、自衛隊がどの程度、どういうときに米軍に協力できるかについては、「国家安全保障基本法」という法律をつくって決めればいい。
いまあるガイドラインというのは、集団的自衛権を行使できない前提でできているのですが、あの境界線も曖昧ですよ。それではかえって危険なのです。そうではなく、集団的自衛権を行使できるのだと明確化する。しかしその一方で、たとえばこの限度までは内閣がやる、この限度は国会に報告する、この限度は国会の承認がなければできないと、そのような明確な限度を設け、国民にも安心してもらい、外国にも透明性を持たせるのです。
いま一番問題になっているのは、米軍が戦闘行為をやっていると、そこには一体性があるから協力できないということです。法制局がそう言っていますね。しかし私は、偵察とか情報という程度のことはいまでもやれると主張しています。ただし、米軍と一緒になって外国での戦闘を自衛隊がやるというような場合は、日本が危急存亡の場合は認めるけれども、それ以外は認めない。
たとえばミサイルで東京、大阪がやられるというような場合、これは日本にとって大変なことになる。その場合にはミサイルの基地を叩かなければいけない。岸内閣のとき、そういう質問があってそう答えています。そういう日本の独立を脅かす、危急存亡の場合にはここまでやれると、段階における限度を明確にした国家安全保障基本法をつくって、外国にも見せ、透明性をもってやっていくのです。国民にもその覚悟をもってもらう。
以上のような 3つの基本――教育と財政構造と安全保障、これについての手を打ち、法律の改正すべき点は改正する。そして憲法改正をやったら、背骨は概ねできるのです。
それを10年以内ぐらいに全部やる、と、それが目標でしょうね。
〇福田和也 順番としては教育、財政、安全保障についてを先行させて、それから国家のグランドデザインとなる憲法の策定――実際には改正となりますが、それを日本自身の手でもう一回やる。そのような順番というふうに考えればよろしいのでしょうか。
●中曾根 いや、同時平行ですね。憲法についてはいま憲法調査会で議論をしていますが、「論憲」は3年ぐらいにして、4年目には各党が憲法改正試案を出し、そして各党でそれをどう具現化するか検討する。政治力をつくらなければ改正はできませんから、準備行為が必要です。だからその前後に、政界再編への動きが非常に出てくるでしょう。
同時に国民投票法を3年か4年目ぐらいでつくり、5年目には憲法改正に着手する。6年目には改正を完了する。平成18年(2006年)までに憲法改正を終わるようなスケジュールでやったらいいと思っています。
〇福田 明快ですね。さて、日本人がとかく見失いがちな安全保障についてもう少しお聞きしますが、アメリカの他国の領域での戦闘行為に、自衛隊が共同で戦闘にコミットするのは、危急存亡の時を除いてはすべきでないということでした。
たとえばボスニア紛争のとき、ドイツは戦闘に加わってボスニアを爆撃いたしました。あそこはナチスドイツの占領したところですから、あえて日本で比喩的に言えば中国の上海を日本がもう一回爆撃するぐらいの、かなり大きなことをドイツはいたしました。しかし、ドイツ並みになる必要はないということですか。
●中曾根 日本とドイツは違いますからね。ドイツはNATOに入っていて、そのNATOの性格が日米安保条約とは違う。また、日本の国是も違う。
〇福田 そこまで踏み込む必要はないということですね。
●中曾根 ない。日本が一般に軍事的に協力するとすれば、憲法改正をして国連協力という場面もあり得るのです。国連憲章にある集団的安全保障条項による国際協力は、個別的自衛権とは別の、国連加入国のいわば契約に基づく国際協力行為ですからね。これは第9条の問題ではない。外交権の問題です。9条は自衛権すなわち個別的自衛権、集団的自衛権の問題です。しかし、国連協力というのは自衛権の問題ではなく、国際協力の問題です。だから、外交権の問題ですね。
しかし、その場合もそれはそれで、憲法にきちんと書いておけばいいんですよ。その上で、国連決議というものが出てきた場合、日本がどの程度の協力をするかについては、そのときの内閣が国民の考えをよく聞きながら決めればいい。
〇福田 話を戻しますと、政治のバブル、経済のバブル、そして社会のバブルをいまから清算していかなければなりません。その政治のバブルを解消するためには、中曾根先生がかねてより主張してこられた首相公選論が関わってくると思います。
日本の民主主義が、指導者的なリーダーシップを非常に欠いた特殊なものであるという批判が、かなり一般的に出てまいりました。リーダーシップの回復ということともつながって、首相公選制がかなり議論されるようになっていますけれども、この点についてはいかがでしょうか。