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第1章
18世紀とのアナロジー

第2章
「剛構造」がまねく業火

第3章
中国、ロシアという発火点

第4章
「人間の本性」に沿った世紀

第5章
日本のアイデンティティを見直す時

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中西輝政・福田和也(5/全5回) 2001.06.04

【第5章 日本のアイデンティティを見直す時】
■「長い20世紀」「短い21世紀」
中西輝政 結果的に見れば、21世紀という世紀は、その本質から測ればおそらく「短い世紀」で終わるような気がしますよ。エリック・ホブスボームが「20世紀は短い世紀だ」と言いました。つまり、ロシア革命に始まり、ベルリンの壁崩壊で終わった。もういま21世紀に入っているんだ、と。すなわち19世紀は1914年までつづき、21世紀は1989年に始まったという意味ですね。

 その言葉を借りれば、私は「21世紀も早く終わらざるをえない」と思うのです。それは、いまのような時代はあと二世代はつづかないという意味です。つまり、われわれの孫の時代までこのような「主権国家からなる世界」というスタイルに、人類は耐えられないと思っています。すると、そこで非常に大きな断層的変化が起こってくる。

 いま「グローバル社会だ」とか人々は議論しているのですが、私はそれは全部22世紀のテーマを議論しているんだと思うのです。その前に一度、すべてのものが転倒するような大転換のプロセスを長い時間かけて通っていくのではないでしょうか。

 20世紀で言えば、前回申し上げた60年代のように、何百年つづいてきたものがそこで一旦終わりになるということが起こりました。同じようにたとえば21世紀の40年代とか50年代、そのあたりでまたもっと大きな「近代の終わり」が来て大転換が起こる。

 そしてそれを経て22世紀は、いましきりに人々が言っているようなビジョン――ボーダーレス社会だとか、国家が意味をなくしていく時代というものが実を結ぶかもしれない。私はそういう発想をしています。

福田和也 20世紀に戦争がなくなって、今度は21世紀に主権国家がなくなっていくということですね。

中西 ただ、そこまで変化していくには、もっともっと今の世界が大きな破壊のエネルギーを蓄えてからでないとできない話でしょうね。むしろ逆に当面はエントロピーがどんどん低下していく。その世界の文明的な流れを考えますと、これはあと二世代ぐらいは時間がかかるかな、と。すると、われわれの孫、あるいは曾孫の世代にその「主権国家がなくなっていくことの始まり」が起きるのかな、というように思うんですね。

福田 一方で「国らしい国」の再編成は、逆に非常に激しく厳しいかたちで行われる可能性があるということですね。

中西 そうですね。そこはいまの時点では非常に読み難いところなのですが。もし人類が文明史的エネルギーを高く保っていれば、激しい軋轢が起こる。あまり元気がないという状態であれば、アイデンティティ志向だけがずるずるっと進んだり戻ったりしながら、各時点で小さな局地的バランスの維持を試みつつ、そちらへ移っていくのでしょうけれど。

 いずれにしても、21世紀は、ストレスに満ちた20世紀が終わって、人間がストレスを感じることが打って変わって少なくなってくる世紀ですね。そういう世紀は、最初の20年ぐらいはなんでも起こりうるわけですから、そこを見届けないと本当の21世紀像はわからない。

 逆に言うと、最初に申し上げたように、2010年、2020年ぐらいまでの間に大きな断絶的変化が起こる可能性があって、これは「20世紀の約束」、すなわち近代の大崩壊という宿命を果たさせられるような変化ですね。20世紀の「棚卸し」は、本当はそのへんに来るんじゃないかという気がします。だから、私は1870〜1880年ごろから始まり2020〜2030年ぐらいで終わる「長い20世紀」こそ、より深い歴史的構造を示す見方だと思うのです。

 先ほど「短い20世紀」という言葉を紹介しましたが、私たちにとっては「長い20世紀」ということも言えるのですね。ホブスボームのように浅いイデオロギーにとらわれた見方をすれば「短い20世紀」です。しかし、たとえば日本やアメリカのようなヨーロッパ外の勢力が世界政治に入ってきた時代という視点で見れば、20世紀はすでに19世紀の終わりに始まっていて、それから20年ぐらいまでが20世紀になってくる。
  国際秩序とか国際関係は、その二層で考えないといけないと思うのですね。

■日本文明の再生か、崩壊か
福田 その「棚卸し」というのは、さっきおっしゃったアメリカの自己規定をやり直すとか、大恐慌の問題であったり、あるいは中ロの再挑戦――いましきりにやっていますが、それに決着がつくというようなことでよろしいんでしょうか。

中西 それに加えてもう一つ、日本の問題があると思うのです。日本の場合は「長い20世紀」が終わるということのインパクトのほうがずっと大きいのです。長い20世紀の始まりは明治の前半期と重なりますが、それまでの長い文明伝統の核心から訣別し西洋化へ走った明治10年前後から後、現在までの日本は、アイデンティティとか文明観、歴史観という面では、どこか非常に狂ったような時代をずっと長くやってきたわけです。けれども、それはもうこれ以上続けられない。好むと好まざるとにかかわらずもう終わらざるをえなくなってくる。そこにこれまで述べた世界の変化を重ね合わせれば、日本がまさしく日本らしくならざるをえない。

 どこから考えても、そうならざるをえません。いまのグローバリゼーションの流れであっても、経済が衰退したり、あるいは中国がおかしくなったとしても、必ず日本人は日本を意識するということになります。先に述べた、アメリカが土着的アメリカに回帰していくことも同様です。その姿を日本人が見れば、やはり「世界の中の日本」という自己像を、今度は非常に余裕を持ってもう一度見直す流れになると思うのです。

 目前の現状だけを見ていると、なかなかそういう可能性は見えにくいように感じるかもしれませんが、しかし文明のそういう大きな方向感覚みたいなものは、意外とブレないものなのですね。大きく見れば。

 そういう意味で、日本もまたあと10年か20年したら、文明の再生か完全な崩壊のどちらかの進路へと決定的に向かわざるをえませんね。いまのような状態でかろうじてバランスしているという日本の文明形態は、いずれ大崩れをするか、完全に立て直すか、どちらかしかありませんから。

 それもまた、いま私が申し上げたぐらいのスパンで、「長い20世紀」の終わりころ、今後20年の間ぐらいに起こるのではないかと考えています。

福田 ありがとうございました。

(後編 全文終了)

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