言論界のエースによる大型対談後編。
百年単位で歴史を、
そして現在を鳥瞰する!
【第1章 18世紀とのアナロジー】
■2010〜2020年がひとつのポイント
○福田和也 前回、20世紀は「破壊の世紀」だったという話をお話しいただきました。では、21世紀はどんな世紀になるのか、21世紀のダイナミズムとは何なのか、ということをお話しいただければと思います。
●中西輝政 私は21世紀については、実はあまりイメージが湧かないのです。この「イメージが湧かない」という言い方は、考えるのが難しい世紀だという意味ではないのですね。そうではなく、21世紀が終わった100
年後に人々が論じるときにおいても「21世紀はどんな世紀だったのか、性格がよくわからない世紀だった」という結論になりそうな予感がするのです。そのような意味において、イメージが湧かないと申しあげたのです。
非常に飛び跳ねた言い方かもしれませんが、ヨーロッパの歴史家にとって「世紀」とは、日本人のような単なる算術的な100年という単位ではないのですね。ヨーロッパの歴史家は世紀の変わり目、「ターン・オブ・センチュリー」を、非常にジンクスっぽい響きのあるものとして受けとめます。
多くの歴史家が「世紀の方向を決める流れは、世紀の初めに起こる」「ターン・オブ・センチュリーが非常に重要だ」と言っているのですね。すなわち、世紀の初めに起こった出来事を消化していく、あるいはその重荷に耐えながら、その後の
70、80年を生きていく。西洋史において、それが一つのパターンだと見ることもできます。
彼らにとって「世紀」というのは、もちろんイエス・キリストにつながる一つの単位ですから、単なる算術的なものとだけは見られない。精神的な何物かである。その反映で何かが起こるはず、ということも、その背景にはあるのでしょうね。
ジンクスめいた話はさておいて、21世紀も、世紀の初めごろになにか大きな出来事が起こり、それをずっと受けとめきれずに、重荷を背負って、いろいろ調整したり対応したり、ときには投げ出したりしながら60、70年間を歩むことになる。非常にマクロな歴史の構造は予測としてそう思います。
私はもう十年以上前から、世紀が変わるとすぐに大きな出来事が起こるだろうと思っています。「すぐ」と言っても1、2年という話ではなく、2010年とか2020年といったあたりのことですが。
なぜそう見るかと言えば、それだけの大変動のエネルギーが20世紀末に溜まりはじめているからです。そして、あるところでそれが一つの破裂線を形作っている。あるいは一つの断層的な大きな変化を引き起こしそうである。そういう流れが本当に少しずつ見えはじめたと思うのです。
■「修復」「癒し」の世紀
●中西 その一つは、前回「20世紀論」の繰り返しになりますが、20世紀は非常に破壊と夢想(ユートピアニズム)の世紀でした。地上にないものを求めつづけるイデオロギーの世紀であって、しかもそれが非常にストレスの強い戦争および冷戦、そしてイデオロギー対立をもたらしました。同時に20世紀後半の数十年は世界的な高度経済成長、それによって人類をめぐる物質環境を激変させました。
一言で言えば20世紀は激動の世紀です。むしろ「狂気の世紀」とさえ言ってもいいでしょうね。破壊、それにともなって人間的な感覚も含めて、さまざまなものが麻痺させられた世紀でしたね。
だとすれば結局、非常に大きく言えば、21世紀はそれを「修復していく世紀」ということになるでしょう。休息の世紀、日本風に言うと「癒しの世紀」という、いわゆる調整の大きな営みが21世紀の最初から与えられた歴史のリズムの、必然的なあり方だと思いますね。
20世紀の後半というのはとくにいろいろな変化がありました。グローバリゼーションにしろ、あるいは冷戦後の世界秩序の一種「中世回帰」のような無秩序。これが非常に広がってきた。こちらの面でもまだ20世紀的な混乱をつづけているものですから、大変動のポテンシャルは相変わらずどんどん溜まりつつある。
それゆえ2010年、おそくとも2020年ぐらいまでに、やっぱり人々は「もう疲れたよ」「もうそれはやめたい」という、そのような歴史の振り戻し、大きな文明史の屈曲点を迎えざるをえないということが見えはじめたと思うのです。西欧の歴史で言えば、18世紀という世紀がそういう世紀でした。
○福田 宗教改革以来の近代のストレスが落ちついて、癒され、再生されたと。
●中西 そうです。宗教戦争で何百万という人が殺し合った時代。それがその前の17世紀だったわけですね。そして、ニュートンやデカルトといった、どこか救いのない原理主義とでもいうべき自然科学が動きだしたり、あるいは宗教にしても圧倒的な神学体系が、カソリシズムの世界だと重荷になってくる。
破壊の衝動が 100年にわたって人々を突き動かしたけれど、「もういい加減にしてくれよ」という気分になった。世紀が変わって、おそらく1713年にあのルイ14世※をめぐってのヨーロッパの大戦争が終わったころ、――ユトレヒト講和会議などがありましたが――これは単なる外交史の日付ではなく、「ストレスと疲労と激情の17世紀」を終わらせて、ちょっとゆっくりしたいという時代に入ったという意味があると思います。それを境として、ヨーロッパはいっぺんに文明の体質も変わりましたね。
※フランス王。在位1643〜1715年。ヨーロッパにおける覇権拡大を目指し、大陸制圧政策を強行、在位中31年間戦争を行った。
それ以上やりたい人は外へ行ってやってくれと、たとえば世界の他の地域で布教や殺し合いを大々的に始めますし、またアメリカへどんどん移民が出ていって、近代西欧をもう一回リプレイするようなフロンティアの時代を始めます。しかし、ヨーロッパの中はいたって静かになります。もっともこれが70、80年ほどエネルギーを蓄えて、とうとう世紀の終わりにはフランス革命のような恰好で大破綻したわけですけれども。
21世紀もそういうパターンが、文明史的なリズムではないかと私は思います。人類のエネルギーの大きな呼吸のリズムは、今後70、80年はそう推移していくのだろうなと思いますね。
昨今インターネットによる情報化や、生産の超近代化によって短い時間でどんどん変わると言われていますが、そういう次元の話をいくら聞いても、私は賛成する気にはなれないのです。文明史のリズムというものに関しては、大きな時間の流れは、21世紀も20世紀も18世紀もそう変わらないだろうと思う。ですから21世紀をトータルに見るとすれば、そんなアナロジーを思い浮かべますね。