【第5回 真の国際化とは】
○福田和也 次に、先ほどあったご指摘のなかで印象深かったのは、子供の教育もあるけれども大人の教育も、ということです。その点はいかがでしょうか。いまおっしゃられた知識人の問題と通じるのでしょうが。
●中西輝政 教育改革というと、みんな子供の教育問題だと思うようですが、決してそうではありませんね。明治維新のとき、学制改革の発布が明治5年にあり、あるいは教育勅語もそうですが、これを見ると明らかなように教育の問題というのは、「世の中はこう変わるぞ、こういう価値観がこれから大切なのだ」という社会全体に対するシグナルなのです。
ですから戦後GHQが何故あれほど教育の改革に力を尽くしたかというと、それは一気に国を変えてしまえることを知っているからです。狙い通り直ちに効果が出た。「国家百年の計」という言葉がありますが、これは少し別の次元の話です。
教育において「こういう価値が人間として望まれる価値観である」ということを社会に示せば、それは現在生きている大人たちへも「ああ、やっぱりそうなのか。そういうことが重視されるべきなのか」というメッセージ効果が非常にあるわけです。
こういう精神面の、目に見えない要素に対して戦後日本人は、特に高度成長期以後の日本人はあまりにも軽視してきました。しかしそういう精神面のメッセージが大人社会や国全体の規範意識、あるいはエリートや社会のリーダー層の使命感や責任感に与える心理的・精神的インパクトというものは、歴史を見ていけば非常に大きなものだということがわかります。
ですからさっき申し上げた、何かを回避するために「精神的なことを唱えても、現場は変わらないから意味がないんだ」という議論をする人は、実はその価値観が気に入らないから議論をすり替えてそう言っている。これはどの時代でも通用する、知識人のひとつのテクニックですけれども。
そのように考えてみれば、いま教育改革というのは、戦後日本社会の精神構造や価値観の崩壊の現状や、目の前に浮上してきた「日本の衰退」を乗り越え真の改革を進めていく上で、不可欠の意識改革であり、そのための必須の条件だと思うのです。
○福田 教育改革というのは単純に子供のためということではなく、非常に明確な国家としての、社会あるいは国民全体への意識的なメッセージであり、刺激剤になるのだという話はほんとうに大事なご指摘だと思います。
もうひとつ、中西先生がいままでいろいろ書かれてきたことの中で、いくつか印象的なことがあるのですけれども、幼児教育のなかでおっしゃっていたのですが、ITもいいけれどもたとえば小学校に畳を入れるようなことをしたらどうかとか。あるいはイギリスの例をとられて、やはり愛国心というのは美しい郷土にしか生まれないものであるから、イギリスのように国土を美化しなければならないとか、具体的なご提言もいくつかされています。その点についてはいかがでしょうか。
●中西 このあいだの小渕総理の私的諮問機関だった「21世紀日本の構想」懇談会の報告書などを読みますと、グローバリゼーションの時代に日本はどう生きていくかという問題意識は私もまったく共有するのですが、その中で問題への非常に間違ったアプローチがあると思うのです。
それは「日本的なるもの」を少なくすればするほど、すなわち伝統的・日本的と考えられるものを全部排除していったあとに、おのずと残ったものがグローバリゼーションに対応する日本の選択なのだ、と、こんな発想がありますね。
それはまったく間違いです。21世紀に世界がグローバル化するのはそのとおりですが、その新しいトレンドに日本人が十二分に取り組んでいくためには、「立脚点」というものが必ず必要なのですね。
文明というものは、どんな場合でも精神要素と物質要素、これがうまく結びついたときにその文明全体の活力が向上していくわけです。決してそれは一方だけの要素では成り立たない。精神要素だけを主張すれば、これは文明とは言えない。物質要素だけでも当然文明としては長生きできない。これは戦後日本が証明しつつある問題です。
このままいけば、日本は歴史や伝統文化を含め、この国が生き残るために不可欠な条件としての、文明のバランスというものを完全に失ってしまうでしょう。
だからさっきおっしゃった、小学校でITを教えることはいいけれど、パソコンの時間が終われば畳の部屋で正座の仕方を教えることから始まり、書道をしたりお茶を習ってもいいし、昔のお伽草紙をみんなで読んでもいい。
とにかくそういう「切り換え」の中に、本当の創造力や国の生命力も湧いてくるものがあるんですよ。これが人間の心の実体に即した、真の競争力につながるのですね。
その片方を切り落としていくようなグローバル化、IT化、情報化というのは、いかに危険な要素に満ちているかということですね。教育改革もそういう見識を前提にしなければ、やればやるほど悪くなるということになってしまうのではないでしょうか。
○福田 大人のほうに視点を移せば、財界の方とか、あるいは知識人などと話していると、「とにかく日本はシンボリック・アナリストを育てなければならない。だから過去なんかにとらわれていてはいけない。歴史の話などはいくらやってもナンセンスだ」とおっしゃる。
だけど、ちょっと欧米の人間と内容のある議論をしようとしたら、「こんなことは東インド会社であったね」とか、「これは明朝の対モンゴル政策と同じだ」というような、歴史に参照できなければ彼らと内容のある会話なんかできないことは明らかだと思うんです(笑)。
●中西 ほんとうに、まったくおっしゃるとおりです。そのような場に何度も立ち会いましたが、日本で高名だとされている知識人や、政財界の指導者が欧米の国際会議などで発言しても、あるいはインフォーマルな場で雑談していても、歴史とか思想の話になった途端に今の日本をすら語れず、一座の中でまったくの馬鹿にされているわけですね。
その人が日本へ帰ってきたら「最先端」と言われるのですからね。何かへんな半透膜がこの列島を覆っていて、外の世界であたりまえのことが、そこを通過するとある方向性を持ったものしか入ってこないという感じがします。
○福田 私のいるキャンパスで見ていても、国際政治をやりたがっている学生たちが、みんなそういう知識がないのです。だから「国際政治の話を外国人としたら、ほとんど歴史と文化の話しかしないんだから、そこを覚えなければ話にならないよ。NGOがどうのこうのというのは、下の官僚に任せておけばいい話なのだから」と言うんですけれども。
●中西 「時事用語辞典」を引けばすむような話を国際政治だと思っている。あるいはそれでこの世界の変化を追っていると思っているんですね。
しかしそんなことなら、5年も経てば勉強したことは全部オシャカになる。この浅さでしか世界をとらえていなかったら、いつまで経っても「世界の田舎者」で軽蔑の対象でしかない。
むしろそういう各論に集中するのではなく、本当の動かないもの、変わらないもの、いつの時代でも適用できるものをしっかり見据えていったら、ものすごく国際発信力が出てくるわけです。
「いや、白村江の戦いの時からわれわれはこうだった、日清戦争でもこうだった。だから朝鮮半島の問題で日本はこうならざるをえない傾向があるから、そうならないようにアメリカも考えておく必要がありますよ」こういう議論をしたほうが、アメリカ人もヨーロッパ人も耳を傾けて、「ああ、そうか、初めて知った。インプレッシブだった」と必ず言いますよ。
それを現在の状況にどう関わらせて話すかという点に、その人の知的技量が問われるわけですけれど。その点をきちっと押さえておけば、ものすごく発信力のある話ができるんですね。
「歴史」と「文明」ですよ、結局発信力は。歴史を学ぶとは、何が「変わらないもの」かを見分けることです。
国際政治とは所詮、繰り返されるものなのですから。そして日本人として自らの文明的なアイデンティティに依拠して自己主張すれば、誰でも耳を傾けるものなのです。要は日本人としての自覚ですね。
○福田 ほんとうにおっしゃるとおりだと思います。