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第1回
崩壊した3つの柱

第2回
明確に保守の立場を

第3回
対外姿勢の原則とは

第4回
教育問題の核心とは何か

第5回
真の国際化とは

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(4/全5回) 2000.11.09

【第4回 教育問題の核心とは何か】
福田和也 第3点は、精神というか、教育の問題ですね。精神なりアイデンティティの回復についてはすでにいろいろな形で議論されているにもかかわらず、その多くがなにかしら、どうにも空疎、空論という印象が拭えないのですが、そのへんはいかがでしょうか。

中西輝政 日本人は馬鹿じゃありませんし、私は本来、精神性を実は深いところでたいへん大切にする民族だと思っています。ところがそういう議論が、実際の国の舵取りや政策決定の場で全然活かされてこないのは、こういうことがあるからかと最近よくわかりました。私自身のその具体的な経験を申し上げてみたいと思います。

 小渕内閣のときに教育改革国民会議というのをつくろうと、小渕首相自身も相当動かれて、私もその委員になってほしいと頼まれました。けれどもお断りしたのです。

 というのも、その前にたまたま新聞を見ていると、委員候補の名前が出ていたのです。小渕さんは一生懸命、教育基本法の改正は日本人の精神とアイデンティティをつくりなおす大きな要件だ、とずっとおっしゃっておられた。

 ところがその候補をみると、こんな顔ぶれで一体そんな話が出てくるのだろうか。私が入ってそのようなことを言っても、必ずそれは潰されてしまうだろうと思いました。そもそもこんな人達を入れておいて、政治がはたして責任を持ってこの問題に取り組もうとしているのかと、非常に疑問に感じたのです。

福田 たとえばこんど座長になられた江崎玲於奈先生などは、もちろんご専門ではすごい業績のある方ですけれども、教育については30年来の独創教育論者、個性教育論者です。その先生が座長になってどういうことになるのかというのは、考えなくてもわかりそうな気がするのですが。

中西 スタートするとまず、第1分科会において教育基本法改正問題は議論されました。新聞には「改正が大勢になった」と書いてありました。ところがある時期から、「これは今後論議していきましょうといったところに落ち着いてきているようだ」という報道になりましたね。私が見たときに、こういう何が何でも戦後体制を守ろうとする顔ぶれを入れておくと必ずこうなるだろうと思った、その通りの方向になっているのですね。

 こうなるだろうというのは、次のようなことです。

 「基本法を改正しても教育現場の実情がすぐに変わるわけがないから、そんなものよりも、たとえば土曜日に企業が育児あるいは教育休暇と称して休みをもう1日増やしなさい、国がそのための金を出しなさい、そうすれば父親が参観に行ける」とか、そういった諸々の細々とした議論なのです。

 それは無意味だとは言いませんけれども、しかしそんなことは日常のレベルでどんどん法律を変えればできることです。それを一生懸命、国の教育の舵取りという大きな方針を考えるべき場所で議論している。沈みつつある船上で、トイレの掃除法を論議しているわけです。

 私は思うのですが、これはなにも根本が「馬鹿」だからそういう愚行をしているわけではないのです。何かを「避けよう」として、そうしているだけなのです。

 教育基本法の、たとえば2条でも3条でもどこでもいいのですが、その中に「日本の国として国民としての本来あるべき教育」ということをうたい、国家への忠誠とか家族の価値、伝統文化の習得などを、「自立した個人」という現行の理念に付け加えればよいのです。

 私はそうすれば、教育の現場が全部変わってくると思います。まず指導要領が変わり、そして教育のさまざまなカリキュラム構成が全部変わります。それは教育の現場に、目に見えた変化を及ぼすのですね。

 しかしその議論をさせないために、審議会が後半になってくると、非常に巧妙な現状維持へと議論が流れているのですね。大きな意味で戦後を変えていくような方向に対しては、実に巧妙な抵抗戦術を身につけた評論家なり識者と称する人たちが、社会の上層にどっかりと居座っていて、文部省をはじめ、官僚の利権や特定の政治勢力の筋書きで踊り続ける。これが日本を変えない大きな構造のひとつです。

 日本の精神とかアイデンティティ、憲法とか教育といった、国として非常に大切かつ本質的な問題が政治の場で論じられるとき、いつもこのメカニズムが動きます。言ってみればある種の「不作為の共同謀議」ですね。

 これが教育の改革にしろ、憲法改正にしろ、そういう問題について論議が始まると、必ず頭をもたげてくる。憲法調査会が発足しても、見ていると、本来の議論に入れなくするような構図がうまーくできていきますね。

 法律や制度の改正でさえどうにもならない構図が、今の日本社会の上層部にある。特に識者がそうです。

 これは非常に重要な問題ですね。日本は戦後、経済一点張りで、知識人の社会などにあまり注意を向けてきませんでしたね。しかし社会党、共産党はそこしかないから、「識者」とかマスコミへの勢力とイデオロギーの扶植につとめてきた。それが今効いてきていると言わざるを得ません。

 けれども、学者、評論家、知識人、あるいは一部マスコミの世界、こういう人たちが実は大きな意味で国のゆくえを決めてしまう、そういう時が歴史の大きな転換期にはあるわけです。

 ですから本当の意味の「日本の改革」を目指すなら、この戦後日本の隘路をどうするか、しっかり考えておかねばならないのですね。

 その意味で、日本の特に若い世代の勉強と発言がとても大事になってくると思うのです。彼らは日本人としての自覚と国際的なあたりまえの常識を忌憚なく口にできる世代であり、そして既存の知識人社会を毒してきた私益のための利権を持っていない。そういうスタンスの世代の発言が重みを持ってくれば、この現状はいっぺんに突き崩されていくものだと私は思っています。

福田 次に、先ほどあったご指摘のなかで印象深かったのは、子供の教育もあるけれども大人の教育も、ということです。その点はいかがでしょうか。いまおっしゃられた知識人の問題と通じるのでしょうが。

(第4回 終)

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