無差別殺戮テロ以降の日本の政情を分析、論評する前にどうしても触れておかなくてはならないことがある。
私は先日(11月2日深夜)、テレビ朝日の討論番組『朝まで生テレビ!』に出演した。テーマはアフガン情勢と日本の針路であった。
番組の終わりに、田原総一郎氏、森本敏氏、そして私がアメリカの外交姿勢の独善性を批判したところ、これに対し、あるアメリカ人パネリストから「アメリカを非難することがインテリの資格と勘違いしているんじゃないのか」という趣旨の発言が飛び出したのである。
番組終了間際であり、この問いに十分に対応できなかったので、ここで当該パネリストの発言について若干答えておきたい。
問題は「インテリ根性」にはない。私達がアメリカの国際政治ビヘイヴィアにどうしても懐疑的にならざるを得ないのは、およそ半世紀前の「トラウマ」にある。つまり都市部への無差別爆撃や原爆投下によって、厖大な数の一般市民を無差別に殺戮されたという傷痕──ほとんど恨みといってもよい──があるからだ。
この意味で小林よしのり『戦争論2』冒頭にみえる「アメリカは東京大空襲を始めとする日本への都市空爆で20万人近い民間人を虐殺し、2発の原爆によって30万人以上の民間人を大虐殺したのだ! 日本人の保守派の言論人はなんで、この恨みをすっかり忘れて6000人でアメリカ人に同情しきってしまえるのだろう」という疑義は正しい。少なくとも日本人がアメリカに向ける心情をよく掬していることは間違いない。
アメリカ国民はもう忘却したかもしれないが、日本人の潜在意識にはまだ生々しい記憶が蟠(わだかま)っている。それが今回のような事件、戦争によって意識の皮相に吹き出すのである。
それは単純な「反米」感情の露頭ではない。
少なくとも私達、1960年以降に生まれた世代にとってアメリカン・サブカルチャーの影響は身体感覚の一部を成している。ニューヨークのシンボルだった世界貿易センタービルが地上から姿を消してしまったことに深い悲しみすら覚える。
したがって「反米」へと直線的に進むわけではない。そこには、もう少し複雑な感情の曲折がある。しかし「いまこそアメリカに日の丸をみせよう」という「いけいけどんどん」の論調に加担できるわけはない。
●
そもそも第一声が不手際だった。9月11日のテロ後初めて小泉純一郎首相が世間に向かって発した言葉は「コワいね」である。公人が吐いてよい台詞ではない。
事件発生3時間後の記者会見は福田康夫官房長官によって行われた。これは日本が世界に先駆けてステートメントを発表する絶好のチャンスだった。もし小泉首相自身が記者会見に臨み、逸早く「卑劣なテロ行為への非難と無残に殺戮された幾多の市民への哀悼」の言葉を発していれば全世界のメディアから注目され、その後の外交の展開を幾分有利に運べただろう。
しかし、最大の不手際はやはり「テロ対策特別措置法」の成立過程と結果である。
「テロ特措法」は施行日より2年の時限付きとはいえ、自衛隊の行動を空間的にも、内容的にも大幅に拡張する法律である。例えば負傷した米兵や自衛隊員などの治療に従事する医官の派遣が可能になったし、行方不明になった米兵らの捜索救助もできるようになった。いずれも前線には立たないというだけで、紛う方なき戦闘行動に他ならない。
無論「戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」という制約は設けられている。しかも、活動領域が外国である場合、当該政府の同意を要するとある。
だが、こうした規制を厳格に適応すれば、同法にはほとんど実効性がないということになる。逆に制約をごく緩く解釈するならば無原則、無限定の戦闘参加への道を開いてしまう。
このような不備でいい加減な立法によって、自衛隊をテロや内乱勃発の危険性もあるパキスタンに派遣できるわけがない。事実『朝生』で、自民党の石破茂衆議院議員(自民党政調副会長)にこの点を問い質したところ、パキスタン領内には送らないという。
ならば一体何のためにこれほど多くの対応策をこの時限法に盛り込む必要があったのか、ということになる。
小泉首相は国会答弁で「憲法前文と九条の隙間」に自衛隊の海外派遣を可能にする余地があると述べている。このような法匪じみた「憲法解釈」を国会で堂々と放語する首相によってリードされた立法だったのである。
しかも国会の事前承認をめぐる与党および民主党の駆け引きは、国家の基本方針を大きく転換する法律を政争の具にしているとしか思えないものであった。
法案の起草に関与した石破議員は、原則、事前承認が筋であるという立場だった。ところが成立した法律は行動開始日から20日以内の事後承認で足りるとされていた。私はこの点も質したが、石破氏から捗々しい返答は得られなかった。
この経緯には、官邸、旧経世会、公明党、民主党の思惑が複雑に入り組んでいたとされている。国家の根幹に関わる法律の成立すら、理念や原則ではなく党利党略が優先されているのである。
終始クリアな態度を取り、まったく揺らぎがなかったのは小沢一郎氏率いる自由党のみであった。もし将来、日本が世界の秩序維持と和平実現のために、何らかの軍事的な貢献をなすとするならば、その条件は国会議員のすべてが小沢一郎氏と同等のリーガルマインドを身に付け、ナショナル・セキュリティを秩序立てて論議し、構想できる能力を具備することである。政府や国会の現状はシヴィリアン・コントロールからほど遠い。彼等は自分がやっていることの意味についての十分な認識がない。この無知無能は国を滅ぼす。
テロ問題を離れても、小泉政権はいまだに碌な成果を上げていない。その間に景気は増悪の一途を辿り、失業率は5%を超えた。不良債権処理は一向に進まず、特殊法人改革も腰砕けぎみ。これで国債発行額30兆円のシーリングを超える二次補正を組めば、改革路線は総崩れである。小泉内閣はその存立基盤を問われることになる。
さらに、テロ事件直後にアメリカ国務省の職員の緊急避難先を漏洩してしまった田中眞紀子外務大臣すら更迭できない。小泉首相はこの一件が外相の行為として如何に致命的かを認識していない。事の重大性を理解している外務省幹部は、重要情報を外相に報告することができない。元々信頼感が醸成できていないから諫言する者もあらわれず、いよいよ外相は省内で孤立を余儀なくされる。結果としてこの非常時に、田中外相と外務省幹部の内訌も絶えなくなっている。
この混乱の責任を田中眞紀子氏に帰するわけにはいかない。支持率維持を最優先として外相を更迭できない小泉首相の責任である。
それでもなお小泉人気は衰えず、支持率は70%台を維持している。支持というよ
り人気の高さがむしろ日本政治の仇になっている。
この窮状を打開するには政権の組み替えしか手はないのだが、官邸にはもはや「自民党を壊す」勇気はないように私には思える。