【Part3 指の間からこぼれ落ちることを】
○福田和也 常に新しいことにチャレンジされていて、けれどそれが読者を狭めることになるかもしれないというお話がありました。読者に対してはどのように思われますか。ご自身の狙いは届いているという感じはしますか?
●桐野夏生 どうでしょうね。コアなファンの方もいらっしゃると思いますが、私は独りよがりでいいと思っているところがありますから、読者を失うこともあるかもしれません。でも、正直に申し上げて読者のために何かしようと思ったことはない。
○福田 もう、自分の……。
●桐野 快楽です。
○福田 書くという。
●桐野 快楽なんですね。
○福田 最初からそうでした?
●桐野 いえ、そんなことはないです。江戸川乱歩賞でデビューした時に、すでに私はジュニア小説、ロマンス小説、レディースコミックの原作も手掛けていました。書くプロだと思っていましたから、むしろサービス精神に溢れていたんです。
デビュー後も『水の眠り 灰の夢』ぐらいまでの2、3年は、一生懸命サービスをしていました。サービスというのは、読者の方に――読者の方といっても見えないんですが、なにか分からない読者みたいなものに向かって――届け届けと、分かってくれ分かってくれと思ってやっていたということです。
では、そういう思いが今はまったくないかというと、もちろんそんなことはない。分かってほしいと思って書いています。けれど、少し複雑な思いがあるんです。
というのは、私の場合、小説を書いていると変な人が出てきてしまうんです。なぜだろうと考えてみると、自分が生きているリアルの生活、本当の生活というものは理不尽だし整合性がないですね。なのになぜ、小説でそれが書けないのか、どうして自分がいま生きている世界と同じものを小説にできないのかという苛立ちがある。
私は小説の中で「実」の世界を作っている。「虚」じゃない「実」の世界を構築している。だから、小説の中でも「実」を突き詰めていくと、やはりそれは整合性もないし、理不尽だし、ものすごく変な人が出てくる。
普通に暮らしていれば整合性のない現実を生きざるをえないのだから、何も小説の中でまで実際の生活と同じでなくてもいいと思う人もいるかもしれない。そういう人たちにとっては、私の小説は駄目だと思います。でも、そうじゃない人もいるかもしれない。私と同じ考え方の人もいるかもしれない。いまはその人に届けばいいと思って書いていますね。見る人は見てる、と信じている。
○福田 現実を書いたとおっしゃっている。私は本当によく分かるんです。桐野さんの作品を読んでいると、現実から逃げていないと感じる。
例えば、子どもが人を殺すというような、今風の社会問題をさも分かったかのように分析した本などがあって、一般的には現実に向きあった作品であるといわれている。でも、逃げている気がするんです。本当に向き合ってはいない。現実に向きあうと、本当に厄介だし、わけが分からない。
でも、それをちゃんと写し取っていくのが作家であると思うんです。バルザックが言ったみたいに、小説というメディアしかこの近代社会というわけの分からない社会は書けないんだという……。
●桐野 まったくそのとおりですね。
○福田 そこから逃げてしまったら、小説は何をすればいいんだろうと思います。
●桐野 実際に、思いもよらぬ犯罪が起きるわけです。やってしまう人がいるわけです。その人たちがどうしてそういうことができたのか書きたい。私が書きたいというのは、知りたいということなんです。好奇心なんです。
小説というものは、そういったことを正面からとらえていくことで、すごいことができる表現ではないかと思います。
○福田 『柔らかな頬』に直木賞を与えたのは立派だと私は思うんです。本当に偉いなと思います。いくつもの結末があって、結局、読者にはカタルシスがないわけですよ。
●桐野 なかったみたいですね。
○福田 普通の読者は、子どもが帰ってくるか、何らかの答えが出て解決されることを望んで読んでいる。だから、あの作品では結論が多元的であるために非常に喪失感が深い。でも、本当に子どもがいなくなるということは、そういうことなんだろうなという感じがしたんです。
●桐野 おっしゃるとおりだと思います。
○福田 子どもがいなくなってしまって、それがいつまでも解決がつかない。これはこうかもしれないし、そうあったかもしれないという煩悶の中で、結局思いが中和されていく。それを小説という形でしっかり書いて提示されたということは、本当にすごいことだなと思いました。
●桐野 ありがとうございます。でも、あれだけ犯人にこだわられるとは思っていませんでした。確かに知りたいだろうとは思いますけれど。
私がそういった悲劇を新聞で読んで思うことは、いったい何がどうしたんだろうという想像ばかりであって、たとえ犯人がわかっても、真実というものは誰もわからない。だとしたら、そのとき生まれる邪推や想像といったものを全部書いたらどうだろうと思ったんです。だれが何をしようと、子どもがいないということに関しては、もうどうしようもないわけです。それを写し取りたかったんです。
○福田 例えば、バラバラ殺人のような事件が起きると、なぜそんなことが起きたのか分からず、もやもやとした嫌な感じがします。だから、犯人が捕まって、動機はこうだった、真相はこうだったといわれると安心してしまう。でも、いまの現実は本当はやっぱり、明確な言葉にはできないような、もやもやとした嫌な感じですよね。
●桐野 嫌な感じです。
○福田 何があって、それがどう連鎖しているのか。それを本当は読者に突きつけなければいけないし、作家も引き受けなければいけないと思うんです。
○桐野 そういう嫌な感じというものをみんな持っている。作家はそれを言葉にしたり、提示することが仕事だとおっしゃいましたが、そのとおりだと思います。もしかすると、そういう感性に恵まれている故に考え過ぎているのかなと思うときもあります。
痴情だとかお金だとか、そういう分かりやすい動機もあるかもしれない。でも私は、指の間からこぼれ落ちるようなことを拾いたい。もう本当にそれしかない。そっちのほうが面白いんです。
○福田 まさに小説の仕事というのは、新聞が「痴情のもつれで」と書いているところを、そうじゃなくて、漏れてしまうようなものを書いていくということだと思うんです。
ただ、読者の数を要求されるジャンルでは、いまはどちらかというと新聞より早く(笑)痴情のもつれって書いてしまうタイプの小説が多いわけです。
●桐野 そうですね。
○福田 要するに、このわけの分からない現実に、ある程度の答えを与えて納得させてしまう。安心させてしまう。でも、それをしないで突きつけながら読者を説得するというのが、本当の小説家の力だと思う。
それを、『柔らかな頬』でされているから、本当にびっくりしました。本当にこれだなと思いました。