【Part2 国民は激痛に立ち向かえ】
そのときが分水嶺である。
そこが天下分け目の関が原である。
そのとき、日本国民は小泉改革を支え続けられるだろうか。
一瞬のうちに熱狂的な改革支持者に化した国民であれば、一夜のうちにアンチ改革派へと一変するかもしれない。
しかし、禁断症状の辛さに怯んで、小泉改革が挫折すれば、日本経済の希望の灯は消えてしまうだろう。本当に悔しいことだが、口さがない海外の識者たちは、「小泉改革が水泡に帰せば、20世紀の日本は、19世紀のアルゼンチン、18世紀のオスマントルコ、17世紀のハンガリー・オーストリア帝国になる」と言い出している。
実際、そのおそれは否定できない。
わが国では、麻薬中毒患者にモルヒネを投与したがるエセ医者が多いからだ。ズルズルの財政出動とジャブジャブの金融政策しか処方箋を持たない輩たちが、日本経済を再びモルヒネ漬けにしようと待ち構えている。大型の補正予算が必要だ、一段の量的緩和が求められると、かしましいことこの上ない。
禁断症状が少しでも出てくると、このエセ医者たちは、「日本経済の底が抜ける」とか「この世の終わりが来る」などと煽って脅し始める。「ほ〜ら、やっぱりまだ麻薬が必要だったじゃないか」と言って、モルヒネを大量に投与しようとするだろう。
彼らの囁きに耳を貸してはならない。「構造改革なくして景気回復なし」という小泉首相の基本哲学を変えてはなるまい。
日本人と日本企業の力を信じて、この難局に立ち向かうべきだ。日本経済には、この苦しみを耐え抜く力があるはずだ。
この十年間跋扈してきたエセ医者たちの言い分が正しいのであれば、韓国経済など「底が抜けて終わっていた」だろう。世界地図から消えて無くなっていてもおかしくないはずだ。
しかし真実は違う。
少なからぬ問題を孕みつつも、韓国は禁断症状に立ち向かい、真っ当な身体に戻ろうと努力している。実際、ITビジネスの勃興などには目を見張るものがある。いま日本が謙虚に学ぶべきなのは、韓国なのではないか。
1998年2月、金大中氏は韓国首相に就任した際、こう宣言した。
「これからの1年、物価は上がり、失業者は増えるでしょう。所得は低下し、企業の倒産は続出するでしょう。われわれ全員がいま汗と涙を流し、苦痛を耐え忍ばねばなりません……」
そして金大中氏は、財閥の大再編、金融界の大改革、IT政策の断行などを統率していく。
これが政治のリーダーシップだ。これまでわが国に足りなかったものはこれである。
歴史に「もし」は禁物だが、98年の自民党総裁選で、梶山静六氏が小渕恵三氏に勝っていれば、金大中氏のような大手術を断行していたに違いない。いま頃日本経済は、逞しい成長軌道に再び戻っていただろう。いわゆるV字型回復である。