【Part1 注射ではなく、激痛の小泉改革】
小泉首相の人気がものすごい。スタートダッシュの80%の支持率をさらに塗り替える高水準だというのだから、これ以上ない高みである。
言いようのない閉塞感に辟易した国民の多くが、「構造改革」という語感に酔っている。
しかし、「痛みに耐えて構造改革を」というスローガンの本当の意味は理解されていまい。少なからぬ人々が、「少々の痛みを我慢すれば、景気は急回復するのだろう」という甘い期待を抱いているのだろう。注射1本分の痛みを耐えれば明日にも全快する「風邪」だと信じているような気がする。
残念ながら、その期待は早晩裏切られざるを得ない。
というのも、いま日本経済が患っているのは死に至る「麻薬中毒症」だからだ。
われわれに突き付けられているのは、(1)求めるままにモルヒネを注射し続け、モラルなく人工的な快楽の中で廃人になっていくのか、それとも、(2)禁断症状の地獄の辛さに耐えながら、真っ当な身体に戻るための苦難の挑戦を試みるのか、という究極の選択肢だ。
言い換えれば(1)改革せず長期的に低迷した後再起不能の激痛に襲われるのか、(2)将来復興する道を切り拓くために、しばらく改革の痛みを耐え抜くのか、という二つのうち一つを選ばねばならない状況にある。
小渕政権や森政権は、(1)を選択してモルヒネを与え続け、日本経済の衰弱を加速させてきた。禁断症状が出る度に補正予算を発動し、ゼロ金利という名の点滴を打ち続けた。病状は回復せずに、体力と自立心は弱まる一方だ。麻薬の副作用――モラルハザードの蔓延や財政赤字の拡大、年金・生保の逆鞘問題――も顕現化してきた。このままでは普通の身体に戻れない……人々は現状の不自然さを嗅ぎ取り始めた。
こうした世論の変化をバックに、小泉政権は、わが国の政府として、初めて(2)の選択肢を選択しようとしている。廃人になるのを拒否するなら、辛くとも禁断症状に耐えるしかない。
したがって、小泉改革は、注射1本分の痛みで済むものではあり得ない。ある種の地獄絵図がわれわれを待っている。
とっくの昔に進退窮まっていたはずの企業が破綻する、本当は何年も前に発生していたはずの大量の失業者が出る――モルヒネの大量使用によって隠蔽されてきた現実が、改革の進展とともに、醜い姿を剥き出しにしてくる。おどろおどろしい不良債権(=不良企業)の実態が、ついにわれわれの前にさらされる時がきた。
ひょっとすると、そのときになって初めて、少なからぬ国民は、小泉改革が「風邪の治療」でなかったことに気付くのかもしれない。こんなはずじゃなかった……「麻薬中毒症」の禁断症状が全身に迸る中で、改革を支持したことを悔やみ始めるかもしれない。