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第1回
お金の本質とは何か

第2回
「ルールはルールだ」

第3回
ルールを破るときも理屈が必要

第4回
信用できるかどうかがすべて

第5回
なぜディシプリンが崩壊するのか

第6回
財政赤字を景気回復ではなくせない

第7回
ルールはルール、ガンはガン



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(1/全7回)
2000.11.13

300kbps ブロードバンド映像、公開中
パソコンのモニター画面いっぱいに動画を表示して
テレビのようにご覧いただくことが可能です。(実写画像)



動画はこちら→ Video


なぜ銀行は破綻するのか。金融問題の核心は何か。
注目されている若手論客・木村剛氏が明快に語る。
(聞き手:本誌編集長 丸山孝)

【第1回 お金の本質とは何か】
―― 金融問題はどうもわかりにくいものですから、前半は入門的に私も含めた初心者に向けて分かりやすくお話しいただきたいと思います。後半は不良債権がいま日本で大きな問題になっていますが、金融の将来展望についてお話しいただければと思います。
 では一番最初に、本当にごく初歩的な話なのですが、お金とは何かという一番入門の入門からうかがいたいと思うのです。

木村剛 今、入門の入門というお話がありましたが、じつは「お金とは何か」というのは、金融あるいは経済問題を考える上で、一番重要な基礎となる部分です。ところがその割に理解されていない部分でもあるんですね。その意味で、「お金とは何か」という発想は、非常に重要なのです。

 「お金とは何か」と聞かれれば、おそらく皆さん「日本銀行券」と正式名称では呼ばれている紙幣のことを思い浮かべると思うんです(編集部注・一万円紙幣を取り出す)。こういうものを日本銀行券と言うわけですけれども、「これは一体全体何ものなのか」ということをしっかりと理解しておかないと、金融問題に対する対処法を大きなところで間違ってしまうんですね。

 そこでちょっと見ていただきたいんですが、じつはこの紙幣に赤い色の判子が押してあるんです。この日本銀行券に押されている判子とは、いったい誰の判子かご存じですか?

―― いや、それは意識したことないです。

木村 よく見ていただくと「総裁の印」と書いてあるわけです。つまり日本銀行総裁が判子を押しているわけですね。今日現在ですと、速水優日本銀行総裁が判子を押している。これはどういう意味かというと、この紙切れは、「日本銀行総裁が一万円分の借金をしました」ということを示す借用証書だということなのです。

 日本銀行総裁は「一万円という価値を国民から借りていて、請求があれば国民にすぐに返します」という義務を負っている。言ってみれば一万円紙幣とは「日本銀行による一万円相当の借用証書」に過ぎないわけですね。

―― 日本国民に対して借金しているわけですね。

木村 理念的にはそうです。そこで考えていただきたいのですが、借用証書を受け取ってもらう、すなわちお金を借りるためには、その人に本当に信用力があるかどうかが非常に重要ですよね。だって私がもしもほとんどお金のない貧乏人であれば、丸山さんに「借金したいんですよ」と言っても、丸山さんは貸してくれないでしょう。 だから、日本銀行はお金持ちで、しっかりしている、大丈夫だという信用がなければならない。

 日本銀行に信用があるから、日本銀行の借用証書に過ぎない「一万円紙幣」というものを、皆は受け取ってくれる。本来は借用証書なのに、「お金」だとして受け取ってくれるわけです。借金が「お金」になっている。ここに「お金」に関するイリュージョンの源泉がある。いつのまにか、日本銀行の借金がみんなの資産になってしまっているんですから。

 ここでさらに重要なことは、自分だけでなく他の人も受け取ってくれるということなんです。他の人も受け取ってくれるだろうと思うから、みんなが受け取ってくれるわけですね。まず、「この借用証書には一万円の価値がある」という幻想がある。その上に、「他の人も同じ幻想をもっている」「だから受け取ってくれるだろう」という、美しいイリュージョンの世界が成り立っている。そういうイリュージョンの世界の中で、「お金」というものは流通しているわけです。

 けれど、そういう意味では、非常に脆いものでもあるんですね。イリュージョンなのですから。万が一であっても、「この紙幣はただの紙切れで価値なんかないんだ。王様は裸なんだ」なんて思われてしまったら、翌日からいきなり誰も受け取ってくれなくなるかもしれない。そういう危険とも背中合わせなんです。実際、世界の歴史を振り返ると、そういう実例には事欠かない。

 したがって、「この一万円と書かれた紙幣はいかに価値があるか」ということについては、現実の経済活動の中で常にアピールしていかないと、「お金」というものはじつは成り立たない。要するに、「お金」というのは、「信用」の塊なんです。非常に脆弱で、そしてデリケートな取扱いが求められるものが「お金」という代物なのですね。

―― 信用という部分を除いてしまえば、こども銀行のおもちゃの紙幣と本物の一万円には実は差などないのですね?

木村 おっしゃるとおりです。だから冗談めかして言えば、こども銀行のおもちゃの一万円札を誰かが権力をもって保証して、子供たちの間でそれが転々と流通すれば、これはもう「お金」なのですね。

 繰り返して言いますが、「お金」の問題は、じつは「信用」の問題なのです。「過信」と言い換えてもよいほどの「信用」がお金には与えられている。なにか知らないけれども皆がこれを受け取ってくれる、という安心感のもとでお金は流通している。

 そしてその結果、貨幣経済、つまり「通貨を媒体とすることによって成り立つ経済」が成立するわけです。「信用」が通貨を成立させ、通貨が貨幣経済を成り立たせている。「信用」はわれわれが営んでいる経済生活において不可欠な基礎なのです。

―― 「信用」が「お金」の本質であり、経済の基礎にもなっているんですね。

木村 そうです。「信用」と「お金」の問題は裏腹というか、表裏一体なんですね。「この紙切れをお金として、皆がちゃんと信用します」という約束事によって、今のわれわれの経済生活は成り立っているわけです。ところが、その約束事は本質的に脆弱なわけです。だから、どのようなことがあっても、信用を崩してはならないわけです。

 とにかく貨幣経済というものは、本質的にふにゃふにゃというか、中身が脆弱なものなんですから、しっかりと成り立たせ、それを維持していくためのルールというのが必要なんです。

 たとえば、私たちはどういう人になら「お金」を貸すでしょうか。パチンコや競馬ばかりやってほとんど働かない人にお金を貸しますか。それともきちんと自分で計画を立てて、朝から晩までよく働く人に貸すのでしょうか。もちろん後者ですよね。それは、その人が「貸した金は返す」という約束を守ってくれるだろうと思うから貸すわけです。それが、一番原始的な形の「信用」ですよね。

 言い換えれば、貸した金は返す、もし返さない人がいればきちんと取り立てる、約束は守らせる、嘘はつかせない。そういう約束のもとで、「お金」というそもそもよく分からないものを受け渡ししながら、私たちは経済生活を営んでいるわけです。

 そういう意味で二重に、「信用」というものは重要なんですね。まず第一に「お金」そのものが成立するために「信用」が重要である。さらに第二に、「お金」を媒介として成立した取引きについても「信用」が重要である。借りたお金は返しましょう、貸したお金は回収しましょう、約束は守りましょう、嘘はつかないでおきましょう、という信頼関係があるからこそ、経済生活を営むことが可能になっているわけですから。

―― 少し話が先に飛びますが、今の日本の経済状況をみると、結局「信用」が揺らいでいる点に本質的な問題があるということになるのですね。

木村 そうなんです。貨幣経済というものは、先に述べたような二重の「信用」の上で成り立っているわけですから、もし借金は踏み倒してもいいという話が通れば、あるいは約束なんて腕力にものを言わせて破ってもいいという人が勝つ社会であれば、そもそも「信用」を基盤にする社会というのは成り立たないわけですね。逆に「信用」の裏をかく人が儲けてしまう。

 そういう状況の下では、長期的な計画でこういう社会をつくろうとか、こういう街づくりをしようなどということは成り立たなくなるわけです。それこそ刹那的な快楽のもとに、暴力的なやり方をもって自分だけが稼げればいいということになってしまう。

 社会的に分業が成り立つのはお互いが信頼するから――「信用」があるから――であって、こいつは裏切るかもしれないなどと思ったら、経済発展の基礎となってきた分業という協力関係は成り立たないわけですよね。

(第2回 へ続く)

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