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第1回
オリエンタリズムの視線を崩す

第2回
コンセプトを世界にどう伝えるか

第3回
アメリカ美術の戦後支配に対抗

第4回
建築をより文化領域へ

第5回
エキゾチズムを吹き飛ばす重源

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(5/全5回) 2001.03.14

【第5回 エキゾチズムを吹き飛ばす重源】
磯崎新 たとえば重源は中世の東大寺再建をやった、勧進をやった人ですね。僕がそれに関心をもった理由というのは非常に単純で、その名前も知らない時に東大寺の南大門を見て、これはすごいなと思ったという、それだけなんです。

 その理由がわからずにずっと、おそらくもう何十年か考えていくうちに、やはりあれは大変な事件として捉えるべきなのではないかと思い始めたという、それだけのことなんです。

 おそらく戦後の20、30年の間に重源研究とか、重源の関連した建物の復元であるとかがいくらかは進んでいるのですが、これは考古学のレベルで精密になっているだけで、実際にあの重源が何をやったのかという、もうちょっと広い意味での歴史の中での見方というのを伝えてくれる人が少なかったことは確かですね。

 要するに、歴史や建築史について僕はある意味では素人です。素人だけど、たとえば五輪の塔というのは仏舎利の容器ですが、重源がつくった仏舎利の容器の形、オブジェクトがちょっと信じられないような強さをもっているということがあって、逆にそれがあったものだから、あの南大門のありようがわかったというような感じもします。

 実はあの時に、そんなに詳しくは読めないけれど、僕は個人的に当時の文学の中で『方丈記』であるとか『明月記』であるとか、そういうものも読もうとしていた。そういう文学的な流れの中で重源のあの造形が生まれてきたということが、僕にはとても強く印象に残っています。

 とうてい僕なんかは文学側からのアプローチはできないけれども、そういう状況の中での日本では、突然妙なものができるなと思っていた。単純にそういうことなんですよ。だから、パッと見た最初の印象というのが、とても強いですね。最後の最後まで。

福田和也 小林秀雄の『無常といふ事』から唐木順三ぐらいまでがつくってしまった中世観がありますが、あれが吹き飛ばされるような、小林や唐木とは異なる中世が、鎌倉が、重源に反映されて見えてきたんです。小林秀雄はもちろんあの時点では、あの中世観でいいんですが、やはりエキゾチズムなんです。

 磯崎さんの重源を読むことで、自分たちがそのエキゾチズムに陥っていたことがよくわかりました。そして、間断なく重源なり何なりを発見していかなければならないのだろうと思って、僕には刺激的でした。

磯崎 僕は最近中国で仕事を始めたんです。今、深センで文化センターを工事中ですが、これはコンサートホールと図書館を同時に造るというものです。深センは文化と縁が切れていると思っていたら、結局中国育ちの人がみんな来ているわけですから、それぞれが中国の昔のいろいろなものを背負っているんです。

 そういう人たちが議論をするわけだから、結局は他の場所と同じなんですね。また、最近北京ともつき合っています。そういう時に、重源の実感がある程度反映しているんです。

 中世の頃はみんな宋に渡るわけです。宋に渡って何か向こうの建築を見てこよう、と。重源にしても栄西にしても、見た建築をどうやって日本に持ち帰るかということを頭に入れながら行ったわけです。

 帰ってきて――これはどこまで正確かはわかりませんが、中国は材木がわりとないものですから、宋でのお礼に周防の国で切り出した大木、つまり東大寺で使った残りを中国の福建省のお寺に寄付しているんですね。

 日本から材木を寄付することによって、昔のお礼をするということをやっていますので、結構中国との絡みがあったらしいということがだんだんわかってきた。

 僕は初めて中国で仕事をやり始めてわかったのは、建築を造るという点ではアメリカよりも日本との違いが大きいんですよ。アメリカ、ヨーロッパの方が日本に近いです(笑)。

 むしろ、そんな気分があるからこそ、重源がもう一度浮かんでくる。重源の実感が反映しているような感じがあるのです。

(全文終了)

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