【第4回 建築をより文化領域へ】
○福田和也 音楽、美術といった日本のいろいろなジャンルにおいて、建築は特にキャパシティが大きいのかなという気がするのですが。
●磯崎新 そう見えますか(笑)。僕なんかは中にいるからわからないのですが……。
少なくとも60年代における建築界で、国際的に認められる10人の名前を挙げるのであれば丹下健三さんが入っている。それから次の10年ぐらいには、少しずつ僕らが介入できるようになってくる。80年代ぐらいになると、安藤忠雄さんや伊東豊雄さんという人たちも出てくる。
だから、80年代の終わりには世界で20人の建築家をピックアップすれば、3、4人は日本人の名前が載せられるだろうという状態にはなりましたね。
それはどういうことかというと、たとえば国際コンペをやる。その時に誰を招待しようか。それから大きな展覧会をやる。その時に誰と誰を招待しようかという企画が進んだときに、日本人の名前がやっと出始めた。さらに相対的にそのパーセンテージが上がりつつあるのが、今の日本の状態なのではないでしょうか。層が厚くなったのは確かですね。
○福田 たとえば江戸時代を代表する美術は何かという話になると、浮世絵だったりとか、あるいは淋派だったりする。安土桃山時代では、やはり建築であったり焼き物であったりする。たぶん明治から戦前ぐらいまでは文学だったんだと思うんですね。
ところが、戦後ということで100年ぐらい経って回想すると、戦後日本を代表する文化は建築だということになるのかなと思ったのですが。
●磯崎 なるほど。僕ら実際に中にいる人間として、そこまで大きく見られるかというと、およそ考えたこともないのですけれど。
少なくとも僕個人としては、最初から美術界とつき合いがあったり、個人的に思想や文学という他の領域のことにも関心があったこともあって、建築という問題を建築プロパーの、いわば土建業の一種というレベルで考えるのではなく、文化領域の一つのジャンルとして、文化のコンテキストの中で論じ得るような構図を持ちたいという希望はずっと持っていたわけです。
僕が今までずっとやってきたのは、建築を文化領域の側に引きずり出すことでした。それを出した時に――戦前まで建築なんて誰も議論をしなかったと思いますが――他の領域の人たちから少なくとも建築というものがある、というぐらいに見てもらえるようになった。こういう効果はこの20〜30年で起こったという気がしますね。
それは別な意味で言うと、建築そのものに対する考え方をもっと広げて、広い目で見られるようになったとも言える。たとえば今日見ていただいた「間(MA)」の展覧会は茶席に起こし絵図がある。つまり建築のデザインがいいというようなレベルの他に、たとえば文化的な意味あい、他の領域との関わりというようなものが、必ずつきまとっているんですね。
昔のいい建物にはそれがあります。建築はその中でしか生まれないわけです。だから、今も同じように見えていいではないかと常々思うんですね。
今、僕がとても不自由だなと思っていることの一つは、せっかくそういう状態まで来たのに、まともに建築批評や理論、文化的な他との関わり合いから議論をする場が、まだ組み立てられていないということです。ジャーナリズムの中では建築界は非常に遠い存在ですから、しょうがないのですが……。
いずれ福田さんにおいでいただきたいと思っているのですが、建築の学会という非常に古めかしい構図の中で、そういうシリーズの討論会をぶっ続けにやる企画を立てています。建築学会のなかに「批評と理論の小委員会」というのをつくっているんですが、これは初めての動きなんです。
ここで、天武天皇、重源、小堀遠州、岡倉天心、ブルーノ・タウト、岡本太郎を連続的に論じていこうとしています。こういうことをやることによって、建築の言説を変えようとしているんですが、むしろ外からいろいろな人に来ていただきたいと思っております。
○福田 たぶんちょっと本を読むほどの人間が、ル・コルビジェとかを知っていないとまずいんじゃないかとなったのは、磯崎さんのお陰というか(笑)、「アフター磯崎」の現象です。それ以降の本を読む人間は、一応建築というジャンルも押さえておかないといけないということになったと思うのですが、やはりそれではまだまだ足りないということですね。
●磯崎 そうですね。戦前は、建築家が書いたものを建築外の人が読んでいるとしたら、せいぜい堀口捨巳さんの『利休』とか、『利休の茶室』というような本ぐらいですよね。岡倉天心が『茶の本』を書いたし、和辻哲郎が『古寺巡礼』を書いたし……と、建築以外の人が建築について若干書いているけど、建築の中から出てきたものはないんですね、もちろん、ブルーノ・タウトがいましたが。
ブルーノ・タウトという人は非常にそういう問題を政治化するアイデアをもっていた人だと思いますが、しかしこれも深く議論をするというよりも、事態を問題化することのできた人だと思いますね。
戦前はせいぜいそれぐらいだったのですね。もっと広い意味での議論に載せてもらうようになったのは、たしかにこの20年かもしれませんね。
○福田 ただ、こちらもまだまだ感度が低いのかもしれません。これは僕なんかも責任があることでしょうが……。磯崎さんは『批評空間』で重源をお書きになっていましたね。あれはほんとにおもしろかったです。
重源的な形で和様が壊されていく。しかし、唐様でもない形で、それは破綻して、すごくボリューム感のある圧倒的なデザインができてきた。それは「間(MA)」の展覧会にも通じますが、わび、さびみたいなことに全部つながる話だと思うのです。
あの重源の論文に興奮しないと嘘だと思うのですが、やはり文章とか観念の受け手側の感性が痩せているのかなという気がして……。つまり、ものを書いたり考えたりする人間が、実際にものに対面する時の感性ですよね。和辻哲郎も小林秀雄も多々問題があるけど、彼らは実際にものを見て、それと対決して、間違えもしたけど刺激も受けていた。今はそれが無くなっている。すごく寂しい気がするんですね。
●磯崎 それはどういうことが原因なんですか? むしろ、僕の方が聞きたいところだな。
○福田 それは先ほどの名品主義と同じで、つくられたものの中で観念操作するだけで、本当に自分でコンセプトを立てようとかつくろうという、書き手なり考え方をする人間が、少なくなってしまったんでしょうね。ある意味では、名品主義でやっていればなんとかなるということが、いまだに続いているからじゃないでしょうか。