【第3回 アメリカ美術の戦後支配に対抗】
○福田和也 展覧会の話と重なるところもあると思うのですが、ちょっと話を変えます。ベネチアで行われているビエンナーレのことです。これは建築のビエンナーレが初めて美術と同じ規模で行われるということで、僕も2000年の今回は端の方で参加させていただきましたが……(笑)。
●磯崎新 そうですね。向こうでお目にかかりましたね(笑)。
○福田 あの時に非常に印象深かったのは――「間(MA)」展もそうだったのですが、出展する側から見た、建築の世界における日本の存在感の大きさです。経済を始め、世界中の他のあらゆる分野と比べても、建築というのが一番日本人の存在感が強いのかなと思ったのですが、その辺はいかがですか?
●磯崎 その展覧会でのキュレーターの問題というものもあると思います。
ベネチアのビエンナーレを代々継続して見てくると、1999年の美術ビエンナーレでは中国勢の登場が非常に印象深かったんです。実際問題としてフランス館は作家を二人出していましたが、そのうちの一人がフランス在住の中国人なんです。要するに、ナショナル・パビリオンの意味をそういうふうに広げてしまった。
もちろんそれまでにも、もともとインド人であるアニシュ・カプールがイギリス館に出た、ということがありました。つまり、国の枠がだんだん崩れ始めたということがあって、それを典型的に見せたのが99年の中国勢の進出なんです。
さらにその3年前の展覧会では、僕は日本館で阪神大震災の展示をやりました。それで金獅子賞をいただいたんです。翌年に北野武さんがもらって金獅子賞は有名になったけど、僕らがもらった時は「なーんだ、クズをもらって」というような、そういう感じだったんです(笑)。たけしさんがもらったのと同じ賞なんですよ、メダルも同じ格好をしているんだから(笑)。
そういう状態ではあったのですが、建築展自体があのときから変化していった。完全にこれまでのフォーマットからずらしていったのは、あのときはまだ日本館ぐらいだったんですが。それが今回、ご覧になったようにダーッと全部変わりました。建築の模型は少しで、ドローイングなんかもほとんどない。ほとんどがビデオや映像やインスタレーションで、建築展なのか何展なのか、社会の通念でいうとわからないものになりましたね。
それだけ急速に変化したと思うのですが、ベネチアでそういう事態が起こったのは、日本館でのインスタレーションがきっかけだったんだろうと思います。
今年は昨年の中国勢の進出に加えて、日本勢の進出が目立ってきました。日本から何人ぐらい行ったんだろう? 十数人……20人近くいったのかな?
○福田 イタリアは地元ですし、フランスも近いですから参加人数は多い。でも、そのイタリア、フランスに次いで日本の話題が多かったように思いますね。
●磯崎 そうですね。それだけ、若い層も含めて日本からさまざまな人たちが、キュレーターのセレクションで招待されて向こうに行っています。
そういう状況をヨーロッパ人とは異なる目で見て感じるのは、現代美術が名品主義でない展覧会というのをやり始めた過去12、13年は、ある意味でいうとアメリカの美術の戦後支配からの解放であったということです。
もともとヨーロッパ・モダニズムの主要なアーティストがみんなアメリカに亡命した。そして、彼らは組み立てたものをアメリカ人の批判を受けながら、自分たち風に変えていった。そこで、いわゆるニューヨーク派の現代美術が60年代、70年代、80年代ぐらいまで、全世界を支配したんです。
その方法は、美術マーケットを通じたものでした。これにはもう逆らえない。そうすると値段が高くなる。高いものを美術館が購入する。そういう仕組みが全世界に広がっていった。これがアメリカ美術の戦後支配とも言える形態です。
この事態にどうやって対抗できるかが、おそらくヨーロッパのキュレーターたち、あるいは美術館関係者にとって一番重要な点だったと思いますね。
そうして考えたことというのは――これは僕の推測ですが――アメリカを相対化しようとする戦略です。アメリカではハイアート、ローアートという分類をして、サブカルチャーではなく、純粋にいい芸術作品が一番いいものだというコンセプトを徹底して保持してきました。
そのアメリカ一国支配を崩すには、国連、あるいはユネスコのような、各国が一つずつ票をもつ仕組みをつくる。そうすれば1票しかないアメリカはばかばかしくなってユネスコの仕組みを脱退するわけです。脱退する理由というのは、お金を一番出しているのに1票しかないから。
要するに世界の異質な文化、異質な地域――たとえばアフリカやアジアのいろいろな地域――つまりヨーロッパ圏、アメリカ圏というこれまでのコンテキストでしか考えていなかった地域以外のテーマを同じテーマだとして舞台上にのせるなら、アメリカだって一つにしてもらわないといけない。つまり、アメリカの相対化です。
そして、キュレーターたちは主題主義みたいなものをだんだん組み立てていくのです。その動きは社会的な問題になり、社会批判の問題になる。おおかたのところ、資本主義批判なんですが、さらに、いわゆるグローバリゼーションというものを下から崩していきます。
今は、この動き、戦略を何回も繰り返している状態だと思います。そういう中で行われたビエンナーレで中国勢が出た。その前には南米やアフリカのさまざまな人たちの登場があり、それより少し前は東欧圏の登場があった。その後中国、日本……とこうきているんです。
それはやはり、キュレーターたちが戦略に基づいて描いた筋書きによっているんだと思います。僕の感じでは、日本もその筋書きの一つでしかないんです。だけど、筋書きに登場できるだけの、ある程度の力を若い層までが持ち始めた、ということがあります。これはやはり大きいことで、ちゃんと考えておく必要があると思います。
同時に、相対的にアメリカにはお金があるけれど、建築でも美術でも、おもしろい作品が生まれてこないんです。ヨーロッパは同様の傾向に焦っていますが、まだそれほどはっきり兆候が出ていない。そういう時にはユニークなもの、あるいは固有なものというのは、意外にも絶縁されつつあったものから浮かび上がってくるということがありますね。