【第2回 コンセプトを世界にどう伝えるか】
○福田和也 この展覧会にはたくさんの特徴があると思いますが、第1は今おっしゃったように名品がなくて、その代わりコンセプトがあるということですね。非常にコンセプシャルな展示がされている。
そして、第2の特徴はコンセプトを基本にしてエキゾチズムを破壊していくということ。この二つがあいまって、ミシェル・フーコーやロラン・バルト、その時は来なかったようですがジャック・デリダといった第一級のヨーロッパの知識人が、非常に大きな刺激を受けた。要するに、知的エリート層に刺激を与えたこと、これが第3の特徴。
この三つの特徴はやはりすごく大きなことで、逆に言えば、日本ではそれがずっとできてこなかったと思うんですね。
●磯崎新 ありがとうございます。ですから、20年前のあの展覧会のあとでは、海外の知識人が日本を語る時に、「間(MA)」という概念をいつも頭のどこかに入れてしゃべってくれるという事実はたくさんありますね。
「間(MA)」というコンセプトは、おそらくあの時初めて海外の知識人に行き渡ったんだろうと思うんですね。そもそも、それを彼らにどう伝えようかというのが、僕の最初の問題意識でした。「間(MA)」を辞書どおりに訳して、2点間の距離であるとか、二つの音の間の静寂であるとか、こんなふうに言ったところで大したものにはならないと思ったんです。
まず僕が矛盾を感じたのは、たとえば国語辞典などで「間(MA)」を引きますね。そうすると、時間とか空間という言葉を使って「間(MA)」を説明するわけです。それは理屈上おかしい。時間、空間というのは「間(MA)」があったからできた言葉であって、できた言葉で説明するというのはナンセンスです。意味がトートロジーにしかならない。ですから、辞書は役に立たないし、直訳しても意味がない。ではどうするか。
けれども、我々は誰でも生活感覚として「間(MA)」を感じている。とんまでも間抜けでもいいんですよ。「間(MA)」にはそんな用法がある。要するに「間(MA)のわからない人はイデオット(間抜け)だ」という意味で「俺たちはイデオットだ」と説明する。そうやると西洋人はわかってくれるのです。逆に、そのような説明を加える必要がある。そう考えた上で、ある事実として日本の古い伝統的なもののいくつかをもちろんビジュアルとして展示した。
だけど、それとはまったく無関係に見える60年代の前衛。その担い手たちは、ある意味でいうと、ヨーロッパ的な前衛のコンセプトを立ち切ろうとしていた。それを切った上で、ヨーロッパの前衛とはまったく別のものとして、理屈にならないことから始めた、というのが60年代初めの日本の前衛です。一番がんばったのが岡本太郎さんだと思いますが。
そんな彼らの仕事も十数年を経ると、かなり成熟してきていました。当時、日本にはこの両方があった。中間はないわけです。一番前衛の仕事と、一番古いコンセプト。これを重ねてみたら案外見られるんじゃないか。そういう作戦で、それを基本的なシノプシス(概要)としたわけです。
こういうやり方は、それまでの専門家がもっていた枠組みからずれたものでしたから、日本ではあまり正当に受け取られなかった。むしろ揶揄される方が多かったですね(笑)。だけど、僕はそういうやり方でしか伝わらないと思った。その時にはそういうことを思っていましたね。
○福田 一般の観覧者というか、文化公開に訴えることも大事だと思いますが、やはり知的エリート層にどう訴えかけるかというのは、海外に日本のものを持っていくときにとても大事なことだと思いますね。その場合、やはりコンセプトをどう打ち出すかということが大事で、たとえば岡倉天心の成功というのは、茶とか武士道というコンセプトを持っていたことだと思うんです。問題は、今それがなぜできないのかということです。
世界の趨勢では、美術でも建築でも、展覧会といえばキュレーター(学芸員)が力をもっていて、ある意味ではアーティストより強い。それなのに日本は相変わらず、おっしゃるように名品主義。名品と言われるものを持っていけばいいと思っている。そのへんのギャップはどうなんでしょうか?
●磯崎 それは何というのか……、外国で日本をテーマにした展覧会を組み立てようとする人たちの、ある種のズレというのが大きいと思いますよ。今おっしゃったようなキュレーター主導の展覧会の組み立て方は趨勢といっても、せいぜい過去10年のものなんですね。それまでは、要するに何とか派の展覧会とか、作家個人の回顧展など、そういう決まったものでやっていたんです。それならば誰でもできる。
これに対して、そうやって組み立てられた美術史なり美術批評のコンテキスト(文脈)は、もう役に立たないんだ、と壊そうとしているのが過去10年の世界美術界の動きだと思いますね。
総体的に見ると、おそらくこの150年間の美術館の構造は、すべての作品を商品に読み換える装置だった。つまり骨董と一緒です。オークションに出して値段をつける。こうして商品に置き換えることによって、美術館はお金を払ってコレクションをする。コレクターは個人で集める。それはおそらく印象派から始まっていると思います。それより前は国家がその権威をもとにお金を払って収集したので、構造が違うと思いますね。
そして、60年代の終わりぐらいにジワジワ起こり始めた現象は、自動的に商品として吸い上げられるという構図をどうやって拒絶して、自分の仕事を成り立たせるかと考えるアーティストの増加でした。それが「売れない作品」とか、「動かせない作品」とか「消えてしまうもの」というような仕事に向かっていくんです。要するに、売り買いしにくくなってしまった。
それが明瞭になってきたのが、たとえばボイスであるとか、80年代を支配してきたヨーロッパの作家たちの活動だったと思います。
こうして商品として作品を売り買いする構図が、おそらく美術館側から崩れてきたというのが僕の感じなんですね。美術館の中に構造的な変化が起こり始めた。それによって美術のあり方がむずかしくなってきた。そういう変化が生じてから、メディア絡みのアーティストは登場しています。自分で商品をつくろうと思っていないですからね、この人たちは。別なものをつくろうと思っている。
これが形をなしてきたら、次の美術館の形式、あるいはアーティストのスタイルが生まれてくるのではないかと思うんです。今はそれが行われつつある、真っ最中じゃないかと思います。その中でコンセプトから組み立てる展覧会の方向が定まってきたんです。
この動きは、僕はおそらくマジシャン・ド・テールとかイマテリュウというポンピドーでやった展覧会がきっかけではないかと思っています。80年代の終わりですね。これをやったキュレーターはとてもがんばったけれど、なんとなく内部で嫌われて、パリでは左遷されていますが……。
しかし、それが一つのブレイクでした。
その後数年以内に全部がキュレーターの力で動かす展覧会という形に変わってきましたね。各フェスティバル、ビエンナーレ(2年に一度の意味)とかトリエンナーレ(3年に一度の意味)とかドクメンテ(4年に一度の意味)というような展覧会のディレクターもやはり同じような、ただ集めてくるのではなく、コンセプトから組み立て直すという方向に移ってきた。それもやはり80年代の終わりぐらいから始まっています。これは決定的な特徴です。
美術界の中ではそういう流れがありましたが、デザイン界では、特に僕なんかは、最初からコンセプトをもって組むやり方しかなかった。それはなぜかというと、単純にデザインした小物や建築の写真、図面を見せても、ぜんぜんインパクトがないわけです。……そういう展覧会ももちろんありますが。それに、ろくに伝わらない。
それならちょっと別なことをやってみようということから、「間(MA)」展もそうですし、30年ぐらい前のトリエンナーレで行った展覧会も同じようにやりました。この時に関わったのは写真の東松照明、作曲家の一柳慧、グラフィックの杉浦康平と建築家の僕。彼らに協力してもらって、要するに、領域が重なった展覧会というのを組んだんです。
僕はこんなふうに展覧会を始めたものですから、それを普通だと思っていたんですよ。ところが、美術界では先ほど話した流れを経て至ったものだったんです。
今はビデオが出てきたし、別のメディアの作品が出てきた。また、平面とか立体という時代でもない。むしろ一つのコンセプトを持ち、あるテーマ(主題)を掲げて、それを組み立てる展覧会が主流となりつつあります。つまり、展覧会というのは一つのナラティブ(物語)を組み立てるものだ、という視点がわりとはっきりしてきたのだと思います。
そういう視点が定着するまでは、アーティストはみんな怒っていたんですね。「俺は展覧会にとって、ただのコマじゃないか」と(笑)。自分の展覧会を組むというのに、俺とは関係ない、嫌いでしょうがないやつの横に作品を並べたというだけで、アーティストは怒るわけです。そういうことがたくさんありましたね。聞いているだけなら、とてもおもしろいですが(笑)。
今はもう個人とか主体とか、一人のグレート・アーティストの作品というのは必要なくなってきていますね。その変化は明瞭に起こっています。「間(MA)」展は特殊な形ですが、そういう変化のはしりだったのでしょうね。