鋭敏な感性で空間を創出する建築家、磯崎新氏。
磯崎氏がプロデュースし、20数年ぶりに復活した「間(MA)」展を皮切りに、
世界の美術界、建築界の最新の動きを福田和也・本誌特別編集委員が聞く。
【第1回 オリエンタリズムの視線を崩す】
○福田和也 先ほどは上野の東京藝術大学大学美術館で「間(MA)」の展覧会を、ご説明いただきありがとうございました。
実に20数年ぶりの再現ですが、非常に刺激を受けました。最初はパリでなさって、それからニューヨークでしたか?
2000年10〜11月に開催された「間−20年後の帰還展」会場にて。左から磯崎新、福田和也の両氏。 |
1978年にパリで開催された「間−日本の時空間展」のメンバー。右端が磯崎新氏。週刊新潮(1978.11.2)より |
●磯崎新 そうです。ニューヨークで行い、シカゴ、ヒューストンと巡回しました。それから北欧に行って、かれこれ3年ぐらい経ったところで日本に持って帰ろうかと考えてみたんです。
でも、これは外国向けに編成した展覧会だから、日本に持って帰ったところで結局みんなが知っている話であろうと思って、当時はそこで一度打ち切りました。
しかし2、3年前に、ちょうど20年になるので同窓会をやったんです。そのとき、今日において再現するのも案外おもしろいかもしれない、と思いまして。
20年という時間は、伊勢神宮のことを考えてみると、20年ごとに社殿を造りかえる式年造替をやりますね。昔はただの区切りだと思っていたけれど、20年という時間を実際に自分で体験してみると、全部中身が変わっているということに気がつきました。
たとえば伊勢神宮では昔の技術を完全に復元することになっていますが、20年というのは職人の世代が変わっている時間です。それからテクニックも少しずつ変わっています。
また、オデッセウスはトロイア戦争に10年、帰路に10年を費やして、最後にペネロペのもとに帰還します。その時間の経過は物語を組み立てるのに十分なものです。20年という時間は思いのほか深い意味があるのではないか、と思いました。そこで「間(MA)」を20年と考えて、20年ぶりに再現したいと思ったのがきっかけなんです。
○福田 たしかに今回の展示では、20年前に中核になっていらした武満徹さんや倉俣史朗さん、土方巽さんが亡くなっていらっしゃいますね。そういう形で変わりながらも同じ顔ぶれの作品が、20年間にどうなっていったかが必然的に見えてくるんですね。この展示のコンセプトについて伺えますでしょうか?
●磯崎 「間(MA)」ですが、この「間(MA)」そのものも20年の歳月を経て少しは年をとったと思っています。当時まったく理解できなかったものを少しずつ気にしながら考えてきたのですが、「間(MA)」の前に「空(うつ)」があったのではないかと思い始めたのです。
最初は、『宇津保物語』でした。あのような物語が日本にあるということを、みんなあまり重視しないものですから僕も気にしなかったのですが、次第に空洞の状態が、日本の古代に非常に重要な役割を果たしていたと考えるようになりました。たとえば老子が言った虚、日本でそういう概念に相当するのが「空(うつ)」だったのではないか。
「間(MA)」と言いだしたのは、おそらく「空(うつ)」のあとではないだろうかと僕は思うのですが、証明する方法がないのです。しかし、折口信夫さんの本では「空(うつ)」は一番古いコンセプトとして扱われているし、逆に折口さんは「間(MA)」についてはほとんど語っていない。そういう奇妙なことがわかったものですから、今回「空(うつ)」の方に引っ張っていきました。
○福田 「空(うつ)」というのは、折口さんの根本概念ですよね。空の中に折口さん自身の妄執もふくめて、いろいろな思想が乗り移ってくるという形なわけですから。神道観とか、文学についてもそうですよね。
●磯崎 さらに「空(うつ)」というものを考えてみたら、霊(ひ)が振る舞う場所なんです。今回、新たに僕自身の考えで「霊(ひ)」と「空(うつ)」を「間(MA)」に加えたいと思った。同じことは昔のテキストを見ると、空洞であるとか、火、霊、神などと書かれていて、その時にはそれらを「間(MA)」の一部として解釈していました。しかし、むしろ逆で「間(MA)」のもとだったのではないかという感じなんです。
○福田 今回拝見して非常に印象深かったのですが、一つやりきれなかったのは、20年前に磯崎さんが海外で展示されて以後、日本人はかなり文化交流に予算をかけているにもかかわらず、これほどのコンセプトを持つ展覧会をいくつやったのかと思ったのです。これは非常に残念なことです。
●磯崎 そのとおりですね。その後日本が、外務省や基金団体などを通じて外国にもっていった展覧会というのは、20年前のあの展覧会からは影響を受けていないんです。葛飾北斎が当たれば北斎だとか、伊万里焼がどうだとかということで、いわゆる物を見せる、つまり名品をもって行けばそれでいい、としていた。コンセプトなんかまったく関係ないんです。そういう展覧会ばかりです。
ということは、逆にいつまで経っても、ヨーロッパが組み立てた一種のエキゾチックな日本、いわゆるオリエンタリズムの枠組みに応答するための展覧会ばかりが行われるわけです。オリエンタリズムの視線を崩そうとする展覧会はなかったというふうに思いますね。
(第1回 終)
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