ネットバブル崩壊、アメリカ経済の減速。
その中で、驚異的な好業績を続けているGE。この会社の強さの核心は何か。
気鋭の経営学者が最新情報、内部情報をもとに分析する。
【第1回 ドットコムクラッシュをどう見るか】
■ビジネス形態より本質
バブルの崩壊から10年、日本経済は、1980年代の繁栄が幻であったかのように、自信を失い、漂流を続けている。そして、その後半5年間は、打開策をビジネスの形態に求め、活発な論議が交わされてきている。
例えば、製造業の新しい形態として製造工程をすべて外注することで効率向上を狙ったファブレス・カンパニーが話題となり、インターネットの普及にともないeカンパニー、Tカンパニーという色分けで企業を論議することが盛んに行われている。
しかし、こういった論議を交わすこと自体に異論はないが、形態だけでビジネスの成否を論じることには、やはり違和感を覚えざるを得ない。これでは、人物を着ている服だけで判断するようなものであり、あまりに性急ではないだろうか。
例えば、自分の所属する会社がeカンパニーと言われているからという理由だけで、その成功を信じる人間を見れば、きっと愚かだと感じるであろう。しかし、実際にはこれに等しい議論が巷にあふれている。
また、Tカンパニーと呼ばれる業態にとどまっていることが業績低迷の原因と断言し、形だけの「e」化を標榜する経営者は、誰の目にもこっけいに見えるが、実際、これに近い企業が存在するのである。
ビジネスの形態を語ることはビジネスのひとつの見方であることは、確かである。しかし、単にビジネスの形態だけでその成功を説明することはできないし、まして保証など到底できない。
ビジネスの形態だけを取り出して、すべてを判断することは、手探りで象を評すようなものであり、愚痴・酔談であればともかく、少なくともビジネスの世界に生きる道を求めようとする者の取るべき態度ではない。
形に目を奪われることなく、本質を見極める目が今必要とされている。
では、いったいなにが、企業の成功と失敗の分かれ目なのであろうか。
■2000年秋、ドットコム・クラッシュ
1990年代、アメリカはまさに経済復興の10年であった。特にその後半はいわゆるNew Businessと呼ばれるIT・ネット企業がナスダック市場での牽引役となり、アメリカ経済を再び繁栄の頂点に立たせたのである。
一部のマスコミは、アメリカのニューエコノミーが景気の循環までも克服し、安定的発展を可能にしたとまで賛美したのだが、2000年の秋になると突如そのネット企業ブームの加熱に対する批判を呈し、将来に対する疑問が渦巻くこととなった。その結果がドットコム・クラッシュである。
かつてのeカンパニーに対する賞賛は、厳しい批判へと一転し、例えば2000年10月30日号で『フォーチュン』誌はドットコム・クラッシュを特集し、次のように解説している。
すなわち、eビジネスというのは仮説検証のための大きな実験であり、例えばビジネスは赤字を出してもいいであるとか、ビジネスモデルは固定的であるとか、起業に伴うインベストメントについての新たな仮説を検証する過程であったともいえる。
そして、このドットコム・クラッシュという段階で何が起こったかというと、結局この検証の結果支持されなかった仮説があり、その仮説に依拠していた企業がクラッシュしてしまったのである。
例えば、「将来に飛躍の可能性があるうちは赤字を垂れ流ししてもよい」という仮説は間違いであったし、「ビジネスモデルは固定して、特許さえ取っておけばよい」という仮説も間違いであった。もちろん、そのビジネスの仕組み自体はしっかり知的所有権を押さえることは大切であるが、自分たちのビジネスモデルを固定的に考えて進化させないなどということは大間違いであったわけだ。
そうした幾つかの仮説がeビジネスという実験の場でも、結局支持されなかったのである。その結果として起こったのがドットコム・クラッシュだと言える。
■もうひとつの「B to B、B to C」
いま冷静に振り返れば、こうした分析は当然のこととして理解できる。しかし、壮大な実験に全員が熱をおびて参加している時には、こんな単純な理屈さえ見えなくなるものであり、やむを得ないことだったのかもしれない。
今、アメリカではドットコム・クラッシュが起こった結果、ドットコム系企業の淘汰が進みつつあるわけだが、この現象を、2000年10月20日付の『ウォールストリート・ジャーナル』は次のように表現している。
つまり、アメリカのドットコム系で活躍している人たちがドットコムブームに乗り、一時センティ・ミリオネア・クラブというものができたという。センティ・ミリオネアとは100億ドル長者のことであり、IPO(株式公開)で大もうけした人たちをセンティ・ミリオネア・クラブと名づけたのである。
が、その後、 彼らのクラブの名前はナインティー・パーセント・クラブ(90%クラブ)になってしまう。つまりドットコム・クラッシュにより、彼らの個人資産価値の90%が消し飛んだわけで、これがナインティー・パーセント・クラブといわれるゆえんである。かつて夢のような大金持ちになった人々が、どんどん落ちる資産価値を嘆いている。
まさに、天国から地獄。ジェットコースターのような乱高下であるが、それに伴って起こった社会的現象を、同紙は「B to
B、B to C」と表現している。もともと「B to B」「B to C」とは、Business to Business、Business to Customerの意味で、インターネットを使った新しいビジネスモデルを説明する際に、しばしば使われている用語である。
なぜいまさら、アメリカのインターネット業界で最もはやりの言葉がBto B、B to Cであるのか、と怪訝(けげん)に思う向きもあるであろう。
なぜ2000年の10月にB to Bなのであろうか。
同紙には、続けてこの説明が記されているが、この場合のB to Bとは、バック・トゥ・バンキング、B to Cとは、バック・トゥ・コンサルティングを意味する。つまり、一挙に大量にネット系に流れた人材が、今、伝統的な金融界、そしてコンサルティング業界に戻りつつあるという状況がアメリカで興っているというのである。
一方、日本では、この間どのようなことが起こったのであろうか。
マザーズ、ナスダック・ジャパンの開設により、ようやく始まったベンチャーマーケットは、小さな過熱で実験を終了し、大きなブームを迎える前に沈静化しつつある。
実態は、そもそもクラッシュといえるほど、マーケットが成長していたわけではなく、変化自体も米国に比べゆるやかであるが、ベンチャーに対する冷静な見方は着実に広がっている。
人材面での余波も米国に対して半年ぐらい遅れて起こりつつある。コンサルティング業界に関しては人材の流出が大方止まり、一部の人材はすでに戻りつつある。銀行業界からベンチャーへの移動に関しては、もともとがわずかな規模であり、アメリカほど大きな問題とはなっていない。