拙著の話ばかりで恐縮なのですが、『悪の恋愛術』(講談社現代新書)が、発売後ひと月たたずに3万部突破とかなり好調で嬉しいかぎりなのですが、反響もなかなか興味深くいろいろと考えさせられました。
『悪の恋愛術』
|
「恋愛」という切り口を私がとりあげたことも新鮮だったのだと思います。もちろん、私自身としても、このテーマは自分から出たものではなく、相応に新鮮であるとともに、緊張を強いられるものでした。あとがきに書きましたように、このテーマは、ライターの中原悦子さんから提案されたもので、その時にこういう発想は自分にはないな、と感心させられたものでした。
反響で、面白いというのは、男性からのものが多かったこと、そして、これは案の定というところもあったのですが、反応の性差がはげしかったということです。つまりは、男女で反応がほぼ百パーセント違う、というか対極的でした。
本書は、このシリーズの前著とも云うべき『悪の対話術』が『FRAU』での連載を元に作られた、主に女性読者を主眼として書いたという路線を踏襲して、やはり若い女性を読者として想定して書きました。都内でも屈指で女性客の率が高いと云われている『ブック・ファースト渋谷店』で総合売上一位になったことが示すように、それなりに所期の目的を達成して、女性読者の獲得に成功をしました。
本書にたいする女性読者の反応を概括すれば、「なんだ、これでよいのだ」という、いわば自己肯定をされたということでした。本書の前提は、恋愛の基礎をエゴイズムに位置づけるということです。個々人において、恋なり欲望といったものが、相手への配慮なり奉仕、献身として存在している場合においても、その本質は各自の欲望と打算に発するものである、それをまず最低の出発点にしましょう、というものでした。
こういう考え方、つまりは恋愛における個人の利益の追求という発想は、実は女性にとっては自然なものなのですね。その点、女性は非常にしっかりとしているというか、自分が恋愛、というよりも男女の関係に何を求めているのか、何が大事なのか、ということを、非常に明確にとらえている。容姿が大事なのか、経済的力が大事なのか、社会的な地位などが大事なのか、あるいは相性なのか、そういった自分の価値観の優先順位と、メリットの計算については、意識的であるとともに、しっかり見ています。
けれどもまた、女性誌などの恋愛特集などを見るとわかりますように、そうしたリアリズムはおうおうにして隠蔽されていますね。ああした特集では、きまり文句のように内面を磨くとか、恋愛のイメージトレーニングといった、はっきり云えば毒にも薬にもならないことが書いてあります。
もちろん、そうした記事が氾濫するのは、一定の需要があるからですね。需要というのは、一言でいえば現実逃避への需要です。実際に、恋愛関係を発展させたり、うまく切り回すための具体策というものはあるのですが、当然ながらそういう現実的な方策というのは、大変な労力なり、意識的な努力を要するものであって、そういう現実に直面することは、読者にとってけして愉快なことではないのです。むしろ、読書などをして内面を充実させる、とか映画をみて恋愛のイメージトレーニングをする、といった記事の方が、気楽に読めるし、また一方では現実を意識しつつ、多少の焦りなどを覚えている読者にたいしての、一種の精神安定剤としての役割をはたしているわけです。とにかく、本でも読んでいれば、そのうちいい男が現れるだろう、というような。
けれども、当然ながら、現実から目をそむけてばかりもいられない、厳しい態度で事態をきりひらくには、打算を貫徹しなければならない。そういう旺盛でリアルな態度もっている女性たちは、拙著を読んで、みずからのエゴイズムが肯定をされた、と捉えたのでしょう。それは、当然こちらの狙いでもありました。
ところで、一方男性たちの反応です。非常に面白かったのは、男性たちには、驚きや反発を示した人が多かったのですね。こんなに、打算なり、エゴイズムといったものを恋愛に持ち込むのはケシカランというような反応がかなりあったのです。まあ、そうだろうな、と思いながらも、同時にややあきれたのも事実でした。つまりは、男性の方が恋愛にたいして夢見がちというか、やや非現実的な観念をふんだんに持っている。
このように云うと、男の方が純真なのだ、とかそういう夢は大事ではないか、という反論が来ます。たしかに、そういう観念は美しいものですが、同時にまた恋愛という、二人の人間のきわめて緊密かつ直接的な関係のなかでは、有害無益であることが多いのです。夢見がちというのは、要するに現実を直視していないということですが、それは何よりもまず、自分の認識がよくできていない、そこのところで曇っているということを意味するのです。
自分の認識において、一番大事なのは、パートナーにたいして、一体何を自分は求めているのか、あるいは何が気にいってつきあっているのか、という事をはっきりとすることでしょう。結局、自分も相手の胸が大きいのが好きとか、容姿だけを見てつきあっているのに、相手が自分にたいして、金銭や地位しか見ていない、などと批判をする、アンフェアな恋愛幻想が、跋扈しやすい。その点、男性も、自分が相手に求めるのが何なのか、をよく認識する必要があるのでしょうね。拙著への反響で、改めてその点を痛感しました。
もっとも、すぐれて現実的な女性たちに比して、なかば以上非現実的な世界に生きている私たち男性は、なかなかこの点の自己認識を正確に持つことができません。やはり、自分の男女関係におけるプライオリティを把握するには、いろいろな女性とつきあってみる必要があるようです。
男女では、恋愛関係における時間感覚もいちじるしく違いますね。女性は、恋愛において、きわめて未来志向です。それまでどれだけ充実した関係を築いていても、そこに未来がないとなると、その関係の意味が消滅します。若いカップルにおいて、男性が結婚問題を安易に扱うことが原因での破局が多いのも、結婚それ自体が問題ではなく、そこに二人の関係の未来にたいする姿勢が問われているためでしょう。
一方、男性は、むしろ過去志向ですね。思い出とか、蓄積にたいして、非常に重きをおいている。だから、これまでの蓄積が、女性にとってあまり意味がないことに直面をすると、非常に驚いて傷ついてしまう。逆にいえば、女性は男をしばるには、過去のいい思い出なり何なりを効果的に想起させるのが有効な手段ということになるでしょう。男性は、女性の未来志向に応えていくことが、関係の維持にとって必要なことだと思います。
いずれにしろ、人間関係が希薄になってきた現代において、恋愛は数少ない、濃密な人間関係です。現実感覚も違えば、価値観も違う。時間にたいする意識も違う。そのような他者同士としての男女が直面する、恋愛という場所は本当に貴重なものではないでしょうか。