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『贅沢入門』目次

001
寿司と天ぷらと日本橋

006
中華料理の話

008
Nゲージ

009
奥志賀スキーの贅沢

017
『地ひらく』

018
現代恋愛考

019
ナポリが日本に問うこと

020
京都の街、二一世紀への宿題

リンクした記事は、見出しや内容が単行本とは一部異なります。



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福田和也 文芸評論家・慶應義塾大学助教授
2001.11.16

 先人たちがことごとく云うに、中華料理について語ることは、難しい。難しいというのは、要するに中国の料理ということ以外には、何の規定もないからで、その内容は地方や系統によってまったく違うからです。前にイタリア料理の多様さということを書きましたが、イタリアどころではない、それ自体が一つの宇宙というべき広さを中華は包含しており、それゆえに一口にくくれたものではないのだ、ということもまた、再三再四指摘されてきたことです。

 今日、一般に中華料理といえば広東を中心とする南方の料理ということになっています。しかし同じ南方でも、広東と潮州ではまったく料理の質も考え方も、素材の扱い方も異なっています。しかもその地方的な差異というのは、ごくごく近傍であっても違うのです。
 例えば、杭州は宋の文人にして中国史上もっとも高名な美食家である蘇東坡に愛され、また南宋に都してからは爛熟した食文化が栄えました。そのような土地と指呼の間にありながら、やや南方の紹興はまったく異質な料理ですし、また北方の上海も違います。このように見ていると、中華料理というまとまりなど、いったいどこにあるのか、といいたくなる。

中国飯店 六本木店   撮影:福田和也(以下同)

 ここまで、多様であり、同時に多様性の中で生きているのが「中華料理」というものであるとすれば、それこそ「本場」の味などというものを日本で味わうのは至難、というよりもむしろナンセンスというべきでしょう。むしろ、日本には、日本の中華料理があるのだ、というくらいの割り切りをしなくてはならないと思います。

 実際に、日本には、日本としての中華料理文化があります。つまりは、中国本土にはどこにもない、中華料理の形態が育っているということですね。もっとも、残念ながらそれはそんなに高度なものではないですが、魅力的なものです。つまり街場の、ラーメン、タンメン、餃子、チャーハンに集約されるいわゆる「中華」ですね。この類の店に、かなりおいしい店があるのは、ご存知の通りですし、そうした店が日本全国の商店街、繁華街にあることが、今日の食文化の広さ、豊かさを支えていることは、異論のないことだと思います。私もいくつか好きな店がありますが、こういう店はあまり公にしないことが礼儀なので、ここには記しません。

 ただ、私はこうした日本の「中華」を、大事な財産だと思いますが、正直にいって、いやだな、と思う側面もあります。つまり、いわゆるラーメン専門店ですね。
 もちろん、ラーメン一筋に精進をする、そういう料理人がいてもいいのです。時にそういう人のなかに立派な人もいるでしょう。けれども、近年の何か過度にストイシズムやナルシシズムを発揮し、それにメディアと顧客が応えている風景は、何というのでしょう、今の日本の貧しさを象徴しているもののように見えます。貧相、の一言につきますね。

 しかも、それを行列して待って食べるにいたっては。たかが、ラーメン、すいてる店で食えばいいじゃないか。だいたい女の子がアイスクリームに並ぶならともかく、大の男がラーメンのために行列などして恥かしくないのかね、などと憎まれぐちを叩きたくなります。こんな事をいえば、嫌われているのはわかるのですが、ラーメン一杯に徹底した満足を求めるというのは、やっぱり貧しく、狭いと思いますよ。もっとも私がこう考えるのは、ある種の偏見のためかもしれません。というのも、実家の仕事が食品関係であったために、ラーメンというものが、きわめて原価率の低い、お徳な商品であることをよく知っているのです。

 じゃあ、おまえはラーメンを食べないのか、といわれればもちろんそんなことは、ありません。といっても、昔ながらのものですが。それを食べに、というので行くのは、有楽町スバル座下の中本。ここには中学時代に映画館通いをはじめた時から行っています。それから洋食屋のたいめいけんのラーメンも、好んで食べます。要するに保守的だから、同じものが好きなんだろう、と云われればその通りなのですが。

福臨門酒家 東京店

 さて、中華料理の話です。では、日本では、本格的な中華は食べられないのか。それはイエスでありノーでもあります。やはり、本土や香港の味と比較して、その質の高低はともかく、同じ感動というわけにはいかないのでは、と思います。

 たとえば、紹興酒ですね。これはどういう訳だか、日本では中国と同じ感動を味わったことがありません。紹興には、魯迅が小説に書いたことで高名になった「咸享酒店」という安直な酒場がありますが、ここでドンブリで供される紹興酒の旨さは、とてつもないものでした。ここの美味しさは、酒が独自のブレンドであったり、長板の椅子に腰掛ける安直な雰囲気であったり、西村康彦氏などが考証しているドンブリで呑むというスタイル、それに独特の酒肴などがあいまっているのだと思うのですが、とにかく、美味い。あるいは、これも前に書きましたが、香港の天香楼の紹興酒も、麹の香りが最高のトスカナ・ワインのような迫力で迫ってきて、かつてあじわったことのない恍惚を覚えました。

 咸享酒店の支店と称する店が東京にもあり、また紹興からも女児紅酒といった現地の最高品質のものが輸入されてもいます。でも、違うのですね。これはどういうことなのか。
 もちろん酒の場合は、湿度や温度がきわめて微妙に影響しますから、やはり江南の土地でなければいけないのかもしれません。では、料理は、ということになります。

 現在、東京、というよりも日本で中華料理の最高峰ということになれば、どうしても香港に本店のある福臨門酒家東京店(銀座)ということになるでしょう。あまりに当たり前の選択でバブル時代に干し鮑や絹傘茸(きぬがさたけ)といった高級乾貨の高値を呼び、その後料理人やサービス陣の変化などがいろいろと取りざたされました。でも、やはりこの店が日本の最高峰であることは間違いないでしょうね。鱶鰭(ふかひれ)等の質といった問題にかかわりなく、上湯の切れ味はたいしたものですし、炒め物についても火の通り方は比較を絶して素晴らしい。前菜の焼豚を食べながら、こんなに旨くていいのだろうか、と頭をひねったことも一度や二度ではありません。

 では、東京店の味は、香港のものと同じなのか。その問いは微妙ですね。京都の割烹料理店の店主で、夏休みには毎年香港に行き、ほかにはどこにも行かず(ほかで食事をしないということだけではなく、観光も買い物もせず、せいぜいホテルでサウナに入るだけで)、福臨門にだけ四日連続昼、夜通うという人がいますが、東京の店はこのような通い方には耐えないのではないかと思います。

 逆にいえば香港の福臨門は、それだけの広さ、厚みの上に定番の鱶鰭の上湯とか、絹傘茸の燕の巣つめとかが乗っているのです。カメラマンにして香港の料理事情の大先達菊池和男氏が、福臨門の凄みは、メニュー外の郷土料理の方にある、と云うのもその足腰の部分の充実を語っておられるのだと思います。実際、先年九龍店で上湯を一切使わないで、煮込みを中心としたメニューを組んでもらったことがあるのですが、一般的な福臨門イメージを大きく裏切る骨格の太さに、蒙を開かれる思いでした。

中国飯店の上海蟹

 高級店ということでいえば、これもまたあたり前ですが六本木の中国飯店もいい店です。上海蟹の質の高さでは、定評がありますが、何を食べても危なげがない。同様にこれもまた当然ですが、ホテルオークラの桃花林も高度の安定を誇っています。個室料金に見合うサービスということになると、ここになるのではないでしょうか。
 もう少し気楽なところでは、これまた定番ですが浜松町の新亜飯店はかなり好きです。この店に四半世紀以上通っていますが、定番の小籠包(日本ではここが先駆けだったと思います)だけでなく、鯉を使った酒粕のスープや皮がついたままの豚脂の蒸し物などは、ほかでは食べられません。

 ここまで、あまりに有名な店ばかりを取り上げてきていささか気がひけるので、多少新奇な店を紹介しましょう。
  新宿御苑近くのシェフスは、ヌーヴェル・シノワ的な紹介をされることが多いのですが、どうして、どうしてオーソドックスな、正攻法の料理を出してくれます(量はたしかにヌーヴェルですが……)。私はここの油と酢の使い方が、とても気に入っています。白菜の酢漬けなどは、家常菜ではありますが、追随を許さないのではないでしょうか。こういうところにこそ実力が現れます。

 幡ヶ谷のチャイナハウスは、店構えこそ気安いものですが、実力は超一流です。最初ここに旧知の編集者に連れていかれた時には、半信半疑だったのですが、一皿目に出された鶏を一口食べて、疑いは感動に変わりました。この店は、店主が客にどんどん一人前ずつ料理を出していって、お腹がくちくなったらストップ、という方式ですから少人数でも、いろいろな料理がたのしめます。

 (終)

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