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目  次

Part1
ひと月百冊を読み、三百枚を書く

Part2
限界まで働かずに、何の甲斐があるのか

Part3
本を読むときに大切な「こころ構え」

Part4
「読む」とは何か

Part5
ページを「折る」

Part6
「抜き書き」の大きな効用

Part7
テレビに情報価値はない

Part8
新聞は朝日、産経、ヘラトリ

Part9
中西輝政先生の情報収集術

Part10
自分の「情報戦略」の見直し

Profile
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portrait
福田和也 文芸評論家・慶應義塾大学助教授(7/全10回)
2001.05.31


【Part7 テレビに情報価値はない】
 さて、本題(情報の集め方)に戻りましょう。
 本以外、ということになると、私にとっては雑誌や新聞、インターネット、そして人づてということになると思います。

 というのも、私はテレビを、ほぼまったく見ないので。
 なぜテレビを見ないのか、という話をはじめると長くなってしまうので、詳細は別の機会に譲りますが、少なくともテレビは私にとっては情報の価値がゼロであるばかりでなく、書くことの邪魔であり、時間の無駄でしかありません。

 テレビが書くことの邪魔であるというのは、テレビというメディアの性質のなかに、基本的な問題として、視聴者を受け身にすること、受け身にした上での、ある種の反射的な反応をつくるという性質があるからです。

■テレビには情報価値がないばかりではなく、書くことの邪魔、時間の無駄……少なくとも筆者にとっては。

 このことも後述しますが、「情報」を得るというのは、けして受動的な行為ではないのです。
 むしろ、高度の自発性、能動性が要求される行為である。あるいは、その能動性こそが、情報獲得の効率を確保するのです。

 情報における能動性とは、それを受けているその時点で、懸命に頭を動かして、それが自分にとって価値のあるものか否か、さらにはそれをどう料理をしてアウトプットするかという処まですましてしまうということです。逆にいえば、料理法まで至らない、思いつかないものは、とっておいても仕方がないのです。そういうものは、手許に残さず処分してしまうべきでしょう。

 これは決定的に重要なことで、何となく役に立ちそうだからクリッピングしておこうとか、切り抜いておこう、といったアプローチをとっていては、再びその資料に直面した時に何故自分がそれを大事だと思ったかということですら、思い返すことが容易ではありません。

 長い記事だから、後で読もうというのもよくありません。それは結局集めた資料をかさばらせるだけで、何のためにそういうことをしているのか分からなくなります。

 テレビというメディアは、こうした受け手の能動性を失わせるものなのです。断片的に資料としてビデオに取るのも手間ですし、メモをとりながら見るにもあまり適していません。
 何よりも、視聴者の能動性を減退させるのです。

 何となく面白く、何となく興味深い、でも終わればそれが何だったのか覚えていない。
 テレビが、時間の無駄だという所以です。
 逆にいえば、非生産的な暇つぶしには向いているのかもしれません。

 ただ、私にとっては、余暇をすごすならば、もっともっと面白いことがたくさんあるのです。テレビで暇をつぶしているには、人生はあまりに短い。

 いずれにしろ、上記のような理由で、テレビに情報価値はありません。少なくとも私にとっては。

(Part7 終)

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