【Part7 テレビに情報価値はない】
さて、本題(情報の集め方)に戻りましょう。
本以外、ということになると、私にとっては雑誌や新聞、インターネット、そして人づてということになると思います。
というのも、私はテレビを、ほぼまったく見ないので。
なぜテレビを見ないのか、という話をはじめると長くなってしまうので、詳細は別の機会に譲りますが、少なくともテレビは私にとっては情報の価値がゼロであるばかりでなく、書くことの邪魔であり、時間の無駄でしかありません。
テレビが書くことの邪魔であるというのは、テレビというメディアの性質のなかに、基本的な問題として、視聴者を受け身にすること、受け身にした上での、ある種の反射的な反応をつくるという性質があるからです。
情報における能動性とは、それを受けているその時点で、懸命に頭を動かして、それが自分にとって価値のあるものか否か、さらにはそれをどう料理をしてアウトプットするかという処まですましてしまうということです。逆にいえば、料理法まで至らない、思いつかないものは、とっておいても仕方がないのです。そういうものは、手許に残さず処分してしまうべきでしょう。
これは決定的に重要なことで、何となく役に立ちそうだからクリッピングしておこうとか、切り抜いておこう、といったアプローチをとっていては、再びその資料に直面した時に何故自分がそれを大事だと思ったかということですら、思い返すことが容易ではありません。
テレビというメディアは、こうした受け手の能動性を失わせるものなのです。断片的に資料としてビデオに取るのも手間ですし、メモをとりながら見るにもあまり適していません。
何よりも、視聴者の能動性を減退させるのです。