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目  次

Part1
ひと月百冊を読み、三百枚を書く

Part2
限界まで働かずに、何の甲斐があるのか

Part3
本を読むときに大切な「こころ構え」

Part4
「読む」とは何か

Part5
ページを「折る」

Part6
「抜き書き」の大きな効用

Part7
テレビに情報価値はない

Part8
新聞は朝日、産経、ヘラトリ

Part9
中西輝政先生の情報収集術

Part10
自分の「情報戦略」の見直し

Profile
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portrait
福田和也 文芸評論家・慶應義塾大学助教授(2/全10回)
2001.05.31


【Part2 限界まで働かずに、何の甲斐があるのか】
自分なりの「スタイル」
 なぜ、それが可能なのか。
 それは自分なりの方法論の積み重ね、試行錯誤と失敗の中から、なんとか作り出した、「スタイル」のためなのです。
 「スタイル」というのは、私にとってとても大事な概念です。この「スタイル」についても後に説明しますが、要するに、私が常に反復している行動様式のことです。

 私の書き手としてのキャリアの上でも、何度も、書く上での困難に直面しました。
 政治や社会時評的な文章を書きだした時にも、あるいはコラムや雑文を書き出した時にも、大きな困難を味わいました。

 この困難は、それまで熟達していなかったジャンルの文章を定期的に、しかも商品として、あるいは作品として通る水準で書くという技量の上での困難と、書くための素材を用意し、料理するための資料や書物の扱い、つまりは探して、集めて、読んで、まとめて分析するという事の困難の双方がからんでいます。戦争に喩えれば、前線での戦闘と、後衛での補給の双方ですね。

 もう一つの困難は、量に関する困難ですね。
 私は、大体月に100枚(注:四百字詰原稿用紙換算)書くまでは、少なくとも量に対する意識はなしに、書いていました。今から考えると大分無駄なことをしましたし、乱暴なこともしてきました。


■2000年に刊行された筆者の本。

 私が職業的書き手として書きだしたのは29歳の時でした。
 それから月に100枚書くようになるまで4年くらいかかったでしょうか。
 初めのうちは、とにかく注文が貰えるのが嬉しくて、片端から引き受けて書いていました。そんなにつきあいも広くなかったし、大学の仕事も非常勤でしたから、時間はいくらでもあったのです。

 その上、書き手になるまでの、大学院を辞めてから約5年間の間にためた蓄積もありました。私は、注文のない原稿を書くといったタイプではないのですが、その間に文筆とはまったく関係のない仕事をしながら、読んだり、考えたり、調べてきた蓄積があったので、それを勢いよく放出していればよかった。

 ところが、月に100枚を書くということになると、野放図に書くわけにはいきません。
 書き出す前の蓄積にも頼れない。放出しながら、蓄積していくということを同時にしていかなければならないのです。

模索の中から作り上げた方法論
 実際に初めて100枚書いた月には、本当に消耗しました。
 これから、どうしようか。
 こんなことは毎月していられない。
 体を壊すか、筆を荒らすかのどちらかだろう。いや、その前に枯渇して、何も書けなくなってしまうに違いない。

 とすれば、選択は二つに一つです。
 つまり、書く量を減らすか。
 それとも、たくさん書けるようにするのか。
 賢い人ならば、量を減らしたでしょうね。
 量を減らして、質を維持し、向上していくよう努力する。
 大部分の書き手の人が、そうすると思います。

 でも、何と云うんでしょう、私は嫌だったのですね。
 そういう風に、戦線を整理することが嫌だった。
 注文が来るならば、来るだけ書きたかったし、そうやって書いていくことで、もっといろいろな事が書けるようになると思った。
 まだまだたくさん書きたいことがあって、とても量など調節している場合ではない、と思われたのです。
 ですから、なんとか、100枚以上書けるようにならなければならないと思いました。

 私の親友である、イタリア・レストラン「LA GOLA(ラ・ゴーラ)」のシェフ澤口知之(のりゆき)は、私とほぼ同年齢ですが、やはり5年位前から、東京でも一番流行っているレストランになりました。

 彼の店は、経営が順調になってからは、夜だけ営業していますが、それでも1日6時間強汗まみれになりながら、厨房に立っていなければならない。繁盛しているわけですから、当然かなり忙しい。そういう毎日を過ごしているうちに、やはり少し飽きて母上に、しんどいというような事を云ったそうです。

 彼の母上は私も尊敬しているのですが、こう云ったという。世間には、志を得ないで、その力を発揮できない人がたくさんいるのに、恵まれて存分に働ける機会を得ていながら、しんどいとは何事か。男と生まれて、その限界まで働かずに、何の甲斐があるのか、と。
 まさしくその通りで、私もまた、同様の決心をしたのです。

 ここから、話していく、私の読み方、書き方というのは、きわめて実践的なものです。
 実践的というのは、理屈や概念ではなく、実用に耐えるやり方であるということだけではありません。
 現実に、毎日の執筆の中で、模索して、作りあげたものです。
 ですから、方法論として、すべてのケース、立場に応用できるのか、どうかは分かりません。
 でも、読む事、書く事について悩んでいる方には、何らかの形で資するところ、役立つところがあると思います。

(Part2 終)

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