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第1回
なぜいま「家」なのか

第2回
リビング、子ども部屋の問題

第3回
夫婦の寝室を立派に

第4回
情報処理の場となった「家」

第5回
家づくりは家族の絶好のテーマ

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(3/全5回) 2000.11.29

【第3回 夫婦の寝室を立派に】
―― あと子ども部屋とは逆に、大人の、つまりきちんとした夫婦の部屋がないというケースが日本では非常に多いんですけれども。これはどうなんでしょうか?

藤原智美 いまの順番としては、リビングを考えて次に子ども部屋とキッチンを考える。一番狭い空間にボコッと夫婦の寝室ができるわけです。

―― そういうケースが多いんですね。

藤原 そうすると、子ども部屋と夫婦の寝室の広さがそんなに変わらなかったりするんです。これがやっぱり問題ですね。もう、こういう家っていうのは日本だけですね。欧米ではあり得ないです。子ども部屋というのは大体、夫婦の寝室、いわゆるマスターベッドルームの半分以下ですよね。

 日本では親心として、これだけお父さんとお母さんは我慢している。子ども部屋はきちっと大きなものにしてあげてるんだから勉強しなさい、と、そういう気持ちなんですけれども、そんなことは子どもは読み取らないですね。

 部屋というのは実は象徴性があるんです。単なる機能だけではなくて。例えば床の間はお客さんを呼べますよという象徴ですね。同じように、夫婦の寝室が子ども部屋以下の家でずっと育った子どもと、夫婦の寝室が子ども部屋の寝室より、まずドアが重厚で金のノブかなんかがあってね。部屋の広さも2倍ある。こういう家で育った子どもと、僕は違うと思うんですよ。

 つまりそれをずっと見ることによって、お父さんとお母さんは大人であって、2人いるからあれぐらい広さがある。僕の部屋のドアは安普請で音も聞こえるのが嫌なんだけど、親の部屋はがっちりしている。なかなか入れないし、ちょっと垣間見たら広い。カーテンも豪華である、と。そういうところで子どもが10年20年育った時に、その子どものお父さん、お母さんに対する意識も違うと思うんですよね。

 それが僕は部屋の持っている記号というか、メッセージだと思うのです。こういったことは、ほとんど考えられてないですね。

―― 日本の家ではその問題はほとんど考えられてないです。

藤原 自分たちが我慢するという発想はあるけれども、子どもがどう見るかということですね。せっかく我慢しているのに、「なんだ、親なんてそんなもんだ」と見ないともかぎらないですよね。

―― あと最近の特徴として、いわゆる携帯端末、たとえば携帯電話が非常に家族関係を変えたような印象があるんですけれども。その点に関してはどうご覧になってますか?

藤原 携帯電話にしろパソコンにしろ、これは個人の道具なんですね。テレビも個人の道具化しつつあります。家族全員で見るなんてことは、もうほとんどない。つまり、個人の道具がどんどん家の中に入ってきているということですね。

 一方、家族というのは個人であると同時に、集合体なわけです。どこかに集合体という場面がないと、家族が認識できないわけですね。

 ところが、その中に個人の道具がどんどん入ってきて、いわばその家族が分裂状態になりつつあるわけですね。道具によって。このことをすごく認識しなきゃいけないんだけど、あまりにも携帯電話が入ってくるスピードが早かったので。

―― ほんの数年でしたからね。

藤原 こんなものがと思っているうちに、いつの間にか、すき焼きをやっても子どもの携帯が鳴ったら、もうそのすき焼きの団欒がおじゃんになってしまう。子どもは30分も部屋に入って出てこない、とそういうことになってしまったわけですね。だから、使い方のルールづけを家族の中でしないといけないわけです。このことの認識が足りないということですね。

 けれど、この問題はもう少し掘り下げて考えたほうがいいと思います。というのは、情報社会については携帯電話とか、表面的なことばかり注目されますが、実はそれだけではないと思います。

 僕はいまの家族関係の半分は、情報処理ではないかと思うのです。例えば家事労働は何かと聞かれれば、掃除、洗濯、料理となりますが、でもそれは半分なんですよ。あとの半分は何かというと、こちらのほうが大事なんだけど情報処理なんですよ。
 家事労働って、いまは情報処理なんです。

(第3回 終)

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