【Part2 フィクションにしか関心がない】
―― へぇ、そうか……。ご主人は全然読んでいらっしゃらないんだ。普通はやっぱりちょっと関心があったりしますよね?
江國香織 ねぇ……。ずいぶん前に問い詰めたんです、「そんなに関心がないっていうことは、愛がないんじゃないか」とかって。でも、そうでもなくて、私の書くものだけではなく、フィクションに関心がないんです。
―― ああ、そうか……。
江國 フィクションに本当に関心がなくて。だから水と油のようですね。
私はフィクションにしか関心がない。新聞を読むときでも、私は物語になっている、三面記事のようなものには興味があるんです。愛憎のもつれで誰かが誰かを刺したとか、男に貢いだ女が横領したとか。
でも、1面にトップ記事で来るようなことというのには、あんまり興味がないんですね。興味がないっていうのは、新聞を1回、2回読んでも全貌が分からないから。
でも、夫は逆で、情報のほうを信じる。情報だけを信じるんでしょうねぇ。
―― 今、「フィクションにしか関心がない」っておっしゃいましたけど、でも、江國さんの作品って、女性でも男性でも、細部とか仕草とか、ものすごくいろんなタイプの人への好奇心が見えますよね。
江國 そうですね。
―― 描かれる女性や男性のタイプが決まっていたりすることって多いけれども、江國さんの作品を読んでいて思うのは、本当にいろんなタイプの男女が出てくるなって、いつも驚くんです。好奇心をそんなに幅広く持てる人って、そういないじゃないですか。
江國 そうでしょうか。どうなんだろう、あのぉ……そんなに広いでしょうか?
嬉しいですね、もし、そうだったら。
でも、小説の場合はもちろんですけど、実生活においてさえも、人に対する私の興味というのは、物語として見ているんだなと思っちゃうんですね。
……表現するのが難しいんですけれど、どんな人も物語を持ってますよね。
―― はい。
江國 決して美化するわけではなく、単純に、物語を持っている。そういうふうにしか、人とつき合っていなかったり、自分のことさえ、そういうふうにしか見ていないんじゃないだろうかって思うことがあって。物語に支配されていると思うこともあります。
―― そういう恐さ、ありますよね。
江國 ありますよね、うん……。それで救われるところもあるんですけれどね。
とても衝撃的なことがあったときにも、作者のような、私が登場人物であるかのような視点を持つ。知らない間にそれを持っていて、そうすると、ひどく感情的にはならないですよね。それは、実際にちょっと助かることもあるんですけど、でも、それをあとから考えると、それは何か、とっても、とっても、非人間的なような感じとか、逃避であるかのような感じとか……。
―― そうですよね。逃避というより、やっぱりちょっと恐ろしいところがあって。
一番恐ろしいなと思ったのは、小説では最新作の『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』の、主人公と言っていいのかどうか、メインになっている彼女がいるじゃないですか。
江國 はい。
―― 他の作家が書いたら、僕はああいう主人公には絶対興味を持てないんですよねぇ。
ところが江國さんが書くと、人物が魅力的とか何とかじゃなくて、その置いておかれ方が、興味を持たざるをえないように書かれているなと思って。
―― 非常につまらない言い方になりますが、あの主人公は、類型的に見てテレビの向こうにしかいないというか、絶対に生きているところで関わってこないような人物なんですよねぇ。それなのに、なぜこんなに面白いのかなと思って。
何でしたっけ、彼女がよく着ている服?
江國 シビラのですか?
―― そう(笑)。ああいうのを着る女性とは、絶対、一生縁がないだろうなと、もう……(笑)。
江國 うん、そうですねぇ(笑)。私の周りにもあんまりいない。
―― こんな人物が出てくる、こういうブランドを着た女が出てくると思いながら、何か興味を持ってしまいますよね。
あの人物などは、何か身近に観察する対象がいるんですか? それとも、ああいう人は完全にクリエーション?
江國 (しばらく考えたのち)……それ、渾然一体となっているんですよね。どんな小説にも、モデルとするお友だちがいるわけではないんですね、私の場合には。ただ、例えば友だちでも家族でも、その人の中に、その人の中の物語を感じたときって、その人とはもう別のものとして、私が勝手につくっている部分がありますよね。
それは類型的かもしれないけれども、例えば仕事のできる、おしゃれにも気を配っている女にも、ちょっとこういう悲しいことはあるんだな、と思ったとすると、その時点で私にとっては、彼女をモデルにしているという訳でもなくなっちゃうんです。
逆に、イメージでつくった人物の行動の中に、現実の彼女の着ているものだとか、お家の中だとかを借りてくる感じ。そのときに借りてくる方法は、たまたまシビラのお店にいた、「ああ、こういう人が着るのか」という女の子とか、電車の中で見た人とかっていうのと全く同列なんです。
そこでたぶん、女の人を書くとき、私の場合はいつもちょっとだけ、自分でも参加しちゃうんですね。だから、他人事とは言い切れないようなところがあるのかもしれないです。