秋晴れの水曜日。紺のハーフコートをふわりと揺らしながら、
江國香織さんはピーターパンのような軽やかな足取りで
待ち合わせの場所に現われました。
江國さんご自身の日常生活の模様からインタビューは始まり、
やがて小説作法へと迫ります。(聞き手:福田和也)
【Part1 覗き見って好きですね】
―― 江國さん、今は、ご主人が単身赴任でしたっけ?
ふだんは一人暮らしをなさっているんですか?
江國香織 はい、一人と犬が一匹。
―― お散歩をなさるんでしたよね。いろんな家を覗いたりしていくと……。
江國 そう、そう、人の家を見るの好きなんですよ。
でね、うちの周り、住宅地なんですけど、外から見るだけでも本当にいろんな家があるじゃないですか。今ね、うちの隣は「ここはアメリカか?」と思うぐらい、ハロウィンなんですよ。とても大掛かりで、街燈も全部カボチャに替えてる。
その裏は真っ白なお家なんですけど、ゴミに被せるカラス避けネットまで白なんです。あれは特注なのかな。白いネットを売ってるの、見たことないですから。
すごく皆、丁寧に暮らしてるな、と思う。それを見るの好きですね。
―― 散歩のルートは決まっているんですか?
江國 えーと、いえ、そんなにきちんとは決めてないんです。でも、何パターンかあって。始めは近くの公園へ行ってたんですけど、「犬の散歩社会」があるので、そこに入ったが最後、出られなくなっちゃうんですよ。いろんな人、挨拶する人とかがいて、なんだかすごく億劫になっちゃって、公園には行かなくなりました。もっぱら住宅地を散歩しています。
―― 「丁寧に暮らしている」とおっしゃいましたけど、いろんな家を眺めるのが好きというのは、その暮らし方とか、そういうものを見ていかれるといった感じなんですか?
江國 そうですね。覗き見趣味があるんですね、まさに。いえ、お家の中は覗きませんよ。覗かないけど、垣間見えるものが、とても面白いんですね。ゾクゾクする。で、ちょっと意地悪な見方をすると、あまりにきれいに暮らしている家を見ると、それはそれで何か「ちょっとナ」っていう気持ちになったりもして、面白いですよね。
―― 『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』、あの作品にはそういう感じがありますよね、ちょっとずつ覗き見をしていく楽しみっていうか……。
江國 そう、そう、そう。覗き見って好きですね。
―― 『神様のボート』でも、主人公が引越していくじゃないですか。あれもそういう感覚に似ているのかしら?
江國 そうかもしれないですね。ただ、『神様のボート』の場合には、主人公が全く現実を拒否してますから、彼女にとっては引越はあんまり意味がなかったり、周りの人の暮らしぶりも目に入ってないように、描いたつもりなんですけどね。逆に、それを娘のほうが吸収していく。娘のほうはちゃんと見たり聞いたり、それなりに交際があったりする話だったんですけど。
―― 原稿を書く時間帯というのは、だいたい決まっているんですか?
江國 いいえ。たぶん、これぐらい時間が不規則な物書きはいないというぐらい、不規則ですね。本当に不規則なので、宵っぱりというふうな規則さえない。
―― でも、そんなに外に出られないでしょ? 結構、出歩かれるんですか?
江國 そうですね、外に出てます。
―― 僕も執筆時間がめちゃくちゃなんですよ。本当にパターンがなくて。ただ、僕の場合は遊び歩いているのと(笑)、学校に行く日があって、学校へ行く日は朝から行くので、それもあって狂っちゃうんですけど。やっぱりそういう感じですか?
江國 全く同じですね、私も。
7年前に結婚をして、結婚をした相手が会社に勤めてますから、朝早く出るじゃないですか。これで、ちょっと規則正しくなるかなと思ったら、そのことも不規則に拍車をかけるだけで。
―― それは、どういうこと?
江國 例えば、徹夜で仕事をして、朝、ファックスを送るときっていうのは、明け方に終わることが多かったんですね、それまで。それまでに終わらないと、たぶん、もうくたびれちゃうんだと思うんですけど。
でも、明け方に終わったところで、寝られないわけですよね。夫の通勤に合わせて、6時にまた起きなくちゃいけないから。そうすると、送り出してから寝ることにしたりとか。
江國 それから、夫の夜ご飯のために家に帰ってきて、彼にご飯を出して遊びに出ると、まさに夜遊びという感じになったり。
物事を抱えれば抱えるだけ、不規則になってゆくんですね。
―― ご主人にご飯を出すっていうのは、何かルールが決まっているんですか?
江國 決まってます。ルールとして決めたわけじゃないんですけど、夫は外食が嫌いなので。今は単身赴任をしていますけど、それまでは毎日、家でご飯を食べていて、私の帰りがどんなに遅くても待ってる、自分では料理をしない。
しょうがないから、ほとんど犬を飼ってるのと同じ状態ですね(笑)、外出先でも「ちょっとご飯に帰ってくるから」って言って、ご飯を出して、また出かけるという……。
―― 男性の側が気を遣って、ご飯をつくったりとか、お茶を自分でいれるというようなこともありますけど、江國さんの場合はそういう感じではないんですね。
江國 全然ないですね。
でも、おかしいですよ、うちの中。うちの夫は本を全く読まないんですね。
―― じゃ、作家としての江國さんのことは全然ご存知ない?
江國 知らないですね。
―― でも、それはそれでいいのかもしれませんね。
江國 うん、そっちのほうが、きっといいんだろうな、と思います。
―― 僕なんか、家内が読んでとっちめられたりすると、こたえますからね(笑)。結構面倒くさいじゃないですか。反論しようと思えばできるけど、それでやり込めてもねぇ、お互いに気分良くないし。かといって何か憤懣があるのに黙っているのは、こっちも精神衛生上良くないし。
江國 そうですね、きっと。うちの父(随筆家 江國滋氏)も、読者としての母を恐れてましたから。
そういう意味では、私たちはお互いにまったく宇宙人のように、互いの欠落部分で仕事をしているんですね、だから……。
―― 生活だけをシェアしているという感じですね。
江國 そうですね、まったく。
―― そして、江國さんは料理も何もかも、本当に一生懸命なさるんですね。
江國 うーん……(笑)。そうですね、料理は好きなので。でも、掃除が好きじゃないので。
―― 掃除は好きじゃない?
江國 うん、好きじゃないとは思っていなかったんですけど。一人で住んでいる場合には、汚れないじゃないですか、あんまり。そうすると、ちゃんと掃除している気になる程度にはしてるんですけど。でも、犬がいたり、同居人がいたりして、片付けても片付けても、汚す一方の人がいると、それを乗りこえて、さらに片付ける意欲はなかなか湧かなくて。
でね、うち、埃の花道ができるんですよ。階段の、歩くところだけがきれいになっていて、その両側に埃がちょっとあって、「埃の花道」って呼んでるんですけど。
―― でも、ご主人は何もしない?
江國 しないですね。
――おっしゃらないんですか、「何かして」とは?
江國 ……言わないんです(笑)。
でも、私が埃の花道をつくっても彼は文句を言わないし、ご飯を出したあと出かけても文句を言わないので、かけがえのない夫だと思ってます(笑)。
―― でも、そうですよね。自分でやらないで文句を言うんだったら困るけれど、文句を言わないんだから……。
江國 そうなんです。一切言わないということに、ひたすら感謝してます(笑)。